コラム

ISISの「血塗られたラマダン」から世界は抜け出せるか

2016年07月11日(月)14時30分

 つまりISは、既存の体制、社会に反発して「何か」を成し遂げたい人たちが、その「何か」をそのなかに映し見る、そういう存在なのだろう。そしてその「何か」に、イスラームの名のもとに「理」を与えてくれる。「造反」を掲げた若者たちに、それに「ジハード」の名を与え、それを実践するためにシリアやイラクに「参戦」を呼びかける。そして、「参戦」しなくても、「ジハード」は自分の社会のなかで――パリやブリュッセルやダッカやメディーナで――できるぞと、ハードルを下げる。

 そう考えると、ISの領域が減少していることは決してISの影響力を減退させることを意味しない。むしろISの出現によって自らの「ジハード」が正当化されたと考えた人々が、今後世界各地で独自に、自分たちの判断で行動を起こす可能性は、どこにでもある。

 では、ISが入れたジハード正当化のスイッチは、どうやって消せるのだろうか? 領域が減っても攻撃が減らないことを考えれば、それは軍事攻撃でないことは明らかだ。では何をすれば良いのか? その解答は、まだない。

 だが、スイッチが入り続ける理由を見つけることは、できる。ホームグロウンが増えるということは、彼らのスイッチが入る原因もまた、地元社会にあるということだ。

【参考記事】民族消滅に近づくイラクの少数派

 イラクでISが北西部の諸都市を制圧できたのは、そこが戦後のイラク政治で辺境化されてきたからだ。そしてそれらの諸都市をISから奪回する際に、露骨な宗派性が表出されたからだ。おりしも、湾岸地域でのイラン対サウディアラビアの覇権抗争が高まりつつある時期である。イラクでの対IS軍事作戦に、イランのイスラーム革命防衛隊司令官が堂々と口を出す。それに対してサウディアラビア系の新聞では、「イラクのシーア派部隊はイラク人の顔をしたイラン人だ」などと、ヘイトまがいの差別的コメントが横行する。

 なによりも、政府自体が腐敗、汚職、権力抗争に埋没し、政治改革を謳って成立したはずのアバーディ政権は機能不全に陥っている。政府はファッルージャ奪回を大々的に宣伝し、「次はモースルだ!」と意気軒昂な姿勢をみせるが、すでに猛暑に襲われているイラクでは、電力不足は相変わらず、経済も停滞したままだ。政府不信を募らせる国民は、連日街頭デモに集まるが、のれんに腕押しである。そんななかで起きたのが、冒頭のカッラーダでの事件だった。政府の無策ぶりが改めて露呈された。

 そのイラク人のルサンチマン(怨恨)が、またISの「肥やし」になるのだろうか? 2014年にISがモースルに進撃したときのように、シーア派とスンナ派がともに自派社会を守ることに走って、国を分断するほどの宗派対立を再び引き起こすのだろうか?

プロフィール

酒井啓子

千葉大学法政経学部教授。専門はイラク政治史、現代中東政治。1959年生まれ。東京大学教養学部教養学科卒。英ダーラム大学(中東イスラーム研究センター)修士。アジア経済研究所、東京外国語大学を経て、現職。著書に『イラクとアメリカ』『イラク戦争と占領』『<中東>の考え方』『中東政治学』『中東から世界が見える』など。最新刊は『移ろう中東、変わる日本 2012-2015』。
コラムアーカイブ(~2016年5月)はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

商船三井の今期、純利益を500億円上方修正 市場予

ビジネス

午前の日経平均は続伸、米株高の流れを好感 徐々に模

ワールド

トランプ氏「BRICS通貨つくるな」、対応次第で1

ワールド

米首都の空中衝突、旅客機のブラックボックス回収 6
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ革命
特集:トランプ革命
2025年2月 4日号(1/28発売)

大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 4
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 5
    東京23区内でも所得格差と学力格差の相関関係は明らか
  • 6
    ピークアウトする中国経済...「借金取り」に転じた「…
  • 7
    「やっぱりかわいい」10年ぶり復帰のキャメロン・デ…
  • 8
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 9
    空港で「もう一人の自分」が目の前を歩いている? …
  • 10
    フジテレビ局員の「公益通報」だったのか...スポーツ…
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 3
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果が異なる【最新研究】
  • 4
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 5
    緑茶が「脳の健康」を守る可能性【最新研究】
  • 6
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 7
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 8
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 9
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 10
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀…
  • 5
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 9
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 10
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story