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石原慎太郎氏が残した3つの謎
作家として政治家として石原氏は大きな存在感を示し続けた Toru Hanai-REUTERS
<初期の文学作品の虚無的な作風と、政治家として掲げた保守イデオロギー>
石原慎太郎氏の訃報に接しました。享年89歳ということを考えれば静かに見送ってもいいわけですが、訃報が大きく取り上げられているのは最晩年まで存在感を示した結果だと思います。また、これだけ中央政界や都政に影響力を行使した公人中の公人ですから、逝去にあたって生前の業績についての賛否両論のさまざまな論評がされるのは当然です。
石原氏については、その多彩な活動で知られていますが、私には活動のそれぞれが、どこかミステリアスに思えてなりませんでした。創作にしても、国政にしても、地方行政にしてもです。いずれも超一流の業績とは少し違うにも関わらず、残した印象は不思議に鮮烈だったということも、それに拍車をかけています。
おそらく、石原氏というのは世相を読み取り、時代の方向性を自分のエネルギーに変えていく種類の作家であり、政治家だったからではないかと考えられます。ということは、氏の仕事を評価すること、とりわけそのミステリアスな面を検証することは、昭和末期から平成の日本の歴史を探る上で大切な作業になるのではないかと思うのです。
1つ目の謎は、若い時の文学作品です。話題になったデビュー作の『太陽の季節』にしてもそうですし、それ以上に物議を醸した『完全な遊戯』が特に典型だと思うのですが、とにかく女性というジェンダーの尊厳を徹底的に冒涜した虚無的な世界を描いているわけです。特に『完全な遊戯』は「拉致監禁の末の快楽殺人」を描いたとして批判されても仕方のない小説です。
左派カルチャーへの反発
作品そのものについては、石原氏がそうした作品を好んで書いていたという以上でも以下でもないのですが、問題はそうした作品がどうして1950年代後期の日本社会によって受け入れられたのかということです。石原氏の作品は、100%純粋なアートを志向しているのではなく、「売れ線狙い」の甘さを加えているのがミソであり、だからこそ話題になったわけで、ある種の世相を代弁していたのは事実だと思うからです。
戦後の荒んだ気風が残っていたとか、民主化された日本で主流とされていた、行儀のいい中道左派的なカルチャーへの反発があったというような説明は、もちろん可能でしょう。ですが、そんな表面的な説明では届かないような、極めて不快だが、その一方で無視や放置のできない「ミステリアスな何か」が氏の初期作品にはあって、それが時代とシンクロしたのは事実だと思います。とにかく小説家・石原慎太郎の特に初期作品に関しては、同時代における読まれ方を含めた再評価が必要だと思います。
2つ目は、石原氏がどうして国政では敗北していったのか、またどうして地方行政では勝ち続けた(75年の都知事選敗北を除いて)のかという問題です。まず国政についてですが、何よりも、1983〜84年に故中川一郎氏の派閥継承に失敗して、屈辱的な形で福田赳夫氏率いる清和会に合流した時の石原氏の姿が鮮烈に記憶に残っています。
一つの可能性は政治資金の枯渇ということだと思います。石原氏の政界進出は1968年でした。参議院の全国区から自由民主党公認で立って、個人で301万票を集めて当選したのです。とにかくベストセラー作家で、石原裕次郎の兄という超有名人のタレント議員だったわけで、301万票という集票力は半端ではありません。その人気を背景に田中角栄氏の金権批判を展開して喝采を浴びたりしていた姿は今でも記憶に残っています。
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