コラム

オーケストラ公演中の「抗議行動」が成功した理由とは?

2014年10月07日(火)12時38分

 ミズーリ州セントルイス郊外のファーガソン市では、8月9日にマイケル・ブラウン氏という18歳の黒人青年が、武装していなかったにも関わらず警官に射殺されて以来、その事件の処理をめぐってある種の「人種間対立」のような状況が発生していました。市民は何度も抗議行動をおこない、警察は当初デモに対して強硬姿勢でのぞんだために大きな批判を浴びました。

 そんな中、オバマ政権はホルダー司法長官を現地に派遣したり、様々な努力をしたりしていますが、そのホルダー司法長官は最近になって辞任を表明しています。その背景にはこの事件の処理を「黒人司法長官」が担当することで問題が「こじれる」ことへの懸念があるとか、だから、ここで辞めて最高裁判事に横滑りするのではないかとか、色々なことが言われています。

 ブラウン氏を射殺した警官は、当初は全く捜査対象にならず身を隠していましたが、ここへ来て捜査に協力したり、家族に謝罪したりと低姿勢になってきています。警官の起訴をどうするかは大陪審に委ねられていますが、その大陪審は決定に苦慮しているので、時間がどんどん経過して難しい事態になっています。

 そんな中、10月4日の土曜日にそのセントルイスが誇るオーケストラ「セントルイス交響楽団」の公演で、ちょっとした、いやかなり大掛かりなハプニングが起きました。

 この日のプログラムは、ブラームスの声楽曲特集で、前半が『四つの厳粛な歌』(デトレフ・グラナート編曲のオーケストラ版)で、指揮はドイツのマークース・ステンツでした。このプログラムの目玉は、休憩後の『ドイツ・レクイエム』で、クラシックの世界では俗に「四大レクイエム(他にモーツァルト、フォーレ、ベルディ)」の一つと言われる人気曲です。

 通常は、ラテン語の歌詞で歌われる「死者のためのミサ曲」ですが、このブラームスの作品はドイツ語であるだけでなく、非常にロマンチックな歌謡性がたっぷり入った曲であり、身近な人の死を経験した人間には、特に心にしみる傑作であるのは間違いありません。

 その『ドイツ・レクイエム』の演奏を開始しようとマエストロのステンツが指揮棒を振り下ろそうとしたまさに瞬間に、観客の一人が立ち上がって別の「レクイエム」を歌い始めました。やがて、二階席の人間も、そして歌が進行するにつれて、どんどん人が立ち上がっていき、総勢50名弱の人がこの「別のレクイエム」に参加したのです。

 歌詞は「あなたは、一体どちらの側に立つのか?」で始まる、人種差別への抗議の歌であり、何よりも射殺されたマイケル・ブラウン氏への「レクイエム」になっていました。やがて、二階席からは「マイケル・ブラウン(1996−2014)」であるとか、セントルイスの遠景のイラストに「ここにはまだ人種差別がある」と書かれたものなど、4つの幕が掲げられました。

プロフィール

冷泉彰彦

(れいぜい あきひこ)ニュージャージー州在住。作家・ジャーナリスト。プリンストン日本語学校高等部主任。1959年東京生まれ。東京大学文学部卒業。コロンビア大学大学院修士(日本語教授法)。福武書店(現ベネッセコーポレーション)勤務を経て93年に渡米。

最新刊『自動運転「戦場」ルポ ウーバー、グーグル、日本勢――クルマの近未来』(朝日新書)が7月13日に発売。近著に『アイビーリーグの入り方 アメリカ大学入試の知られざる実態と名門大学の合格基準』(CCCメディアハウス)など。メールマガジンJMM(村上龍編集長)で「FROM911、USAレポート」(www.jmm.co.jp/)を連載中。週刊メルマガ(有料)「冷泉彰彦のプリンストン通信」配信中。

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米大統領に就任 「黄金時代」を誓う

ビジネス

欧州外為市場=ドル急落・ビットコイン最高値 トラン

ワールド

バイデン氏、退任前にミリー氏らに恩赦 トランプ氏の

ワールド

トランプ氏、パリ協定から離脱へ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプの頭の中
特集:トランプの頭の中
2025年1月28日号(1/21発売)

いよいよ始まる第2次トランプ政権。再任大統領の行動原理と世界観を知る

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性客が「気味が悪い」...男性の反撃に「完璧な対処」の声
  • 2
    メーガン妃とヘンリー王子の「山火事見物」に大ブーイングと擁護の声...「PR目的」「キャサリン妃なら非難されない」
  • 3
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    被害の全容が見通せない、LAの山火事...見渡す限りの…
  • 6
    台湾侵攻にうってつけのバージ(艀)建造が露見、「…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 9
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 10
    身元特定を避け「顔の近くに手榴弾を...」北朝鮮兵士…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性客が「気味が悪い」...男性の反撃に「完璧な対処」の声
  • 3
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 4
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 5
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 6
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀…
  • 7
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 8
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 9
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
  • 10
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story