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中国が文革の悪夢を葬り去れない理由
今年で文化大革命が始まって50年だが、中国政府はいかなる記念活動も開催せず、官制メディアも一貫して沈黙を守っている。記念日の5月16日がすぎ去った後、ようやく17日未明に人民日報が1本の評論記事を公表しただけだ。記事は文革を災難と認める一方で、中国共産党に教訓を学ぶ能力がある、と強調し、国民に対してすでに終わった文革に引き寄せられるな、と呼び掛ける内容だ。
しかし私は聞きたい。文革は本当に終わったのだろうか?
1966年5月に中国共産党中央政治局の拡大会議が北京で開催され、会議で「5・16通知」が決定された。歴史学者はこの「5・16通知」を文化大革命の始まりと見なしている。76年9月9日に毛沢東が死去し、10月6日に華国鋒首相が副主席の葉剣英と共産党中央弁公庁主任の汪東興と共に「懐仁堂の政変」で王洪文、張春橋、姚文元と毛沢東夫人の江青(いわゆる4人組)を逮捕して、10年の文化大革命は終わった。
この10年は「10年の大災害」と呼ばれ、毛沢東と彼の率いる中央文革小組は多くの紅衛兵を動員してあらゆる方面にわたる階級闘争を展開。批判闘争や家財の略奪、密告、人権と財産権の侵害が横行し、迫害され死に至ったのは、上は前国家主席の劉少奇から下は庶民におよび、無数の歴史的文化財や遺跡が破壊された。
81年、鄧小平が党の第11期中央委員会第6回全体会議を開き、「建国以来の若干の歴史問題についての決議」を決定した。決議は文革を毛沢東が誤って始め、「反動グループ」に利用されて党、国家と各民族に災難を与えた内乱、と定義づけた。しかしこの決議は「功績第一、誤り第二」と毛沢東に対してあいまいだった。
共産党は文革に対して一度も徹底的な反省を行ったことがない。紅衛兵として参加し、その手が血で汚れた者で被害者に懺悔と陳謝を伝えたものはほとんどいない。共産党は文革の歴史と犯罪を暴露する国家レベルの記念館建設を許さず、文革の元凶である毛沢東の遺体はずっと天安門広場に安置され見学者を迎えている。彼の肖像は天安門に掲げられ、人民元の紙幣にも印刷されている。毛沢東は今なお現状に不満な人々に神と見なされ、彼の肖像や彫像はあがめられ、タクシー運転手は交通安全のお守りとして車のバックミラーに掛けている。多くのスーパーは彼の肖像を入口に掲げている。
民間に残る「毛派」以外にも、習近平の態度が懸念を呼んでいる。彼は13年1月に中央党校の勉強会で、鄧小平の始めた改革開放後の30年をもって毛沢東の30年を否定できない、と演説した。習近平本人と家族は文革の中で辛酸を舐めた。ところが同世代の元紅衛兵や知識青年たちと同じように、大きな被害を受けたにも関わらず、毛沢東を精神的な指導者と見なしているようだ。
習近平の指導部が徹底的に文革を否定できないのは、彼らの「教組」毛沢東が文革の元凶であるためだ。もしも徹底的に追及すれば、49年の建国の意義や共産党そのものを否定されてしまう。共産党だけでなく、民間の文革に対する再考を厳しくコントロールすることで、文革への反対が共産党への反対につながらないよう防いでいるのだ。
習近平が権力独占の道を目指しているのは明らかで、今まさに「鎖国」すら進行しようとしている。私たちは直面しようとしているのは、いつか見たことのある「文革2・0」の国家だ。
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