イラン映画界の巨星、パナヒ監督の『熊は、いない』が描く社会の裏側とは?
イランの名匠ジャファル・パナヒ監督の新作『熊は、いない』
<イランの名匠ジャファル・パナヒが、映画制作の禁止を乗り越えて挑んだ新作『熊は、いない』は、社会の裏側を鋭く。伝統と現代、そして政治的な圧力との間で揺れ動く人々の生活をリアルに描きだす......>
イランの名匠ジャファル・パナヒが、2010年に、政府に対する反体制的な活動を理由に、20年間の映画制作の禁止・出国の禁止を言い渡されながらも、作品を発表しつづけていることは、『人生タクシー』(2015)を取り上げたときに触れた。そのことが頭にあると、パナヒの新作『熊は、いない』の導入部にはちょっとした驚きがある。
その舞台はどこかの街角だが、ストリート・ミュージシャンが演奏しているのは、どうもターキッシュ・クラリネットだと思われ、商店の看板などに目をやるとその文字はトルコ語のように見える。
映画の舞台と現実の交錯
主人公は、バクティアールとザラというイラン人の男女で、難民状態の彼らは、何とかして偽造パスポートを手に入れ、ヨーロッパへ脱出しようとしているらしい。バクティアールがとりあえず入手できたのはザラのものだけだったが、彼女にはひとりで旅立つ気はない。そんなやりとりが長回しで映し出された後で、「カット」の声がかかり、それが劇中で撮影が進行している映画であることがわかる。
その映画を監督しているのは、登場人物であるもうひとりのパナヒ。といっても彼がトルコにいるわけではない。首都テヘランの自宅を離れてトルコとの国境に近い小さな村に滞在し、リモートで撮影をチェックし、助監督のレザに指示を出している。
この時点ではそれは劇映画のようにも見えるが、物語が展開していくと、ドキュメンタリードラマであることが明らかになる。さらに、難民状態とは異なる状況で、苦境に立たされるもう一組の男女の関係も浮かび上がってくる。
冒頭の撮影では、パナヒとレザが撮り直しについて語り合ううちに回線が切れ、携帯電話も圏外になり、手持ち無沙汰となったパナヒは、村の子供たちや風景などの写真を撮影して過ごすが、後にその行動が問題となる。
村の伝統と現代の葛藤
その村には、女の子が生まれると将来の夫を決めてからへその緒を切るしきたりがあった。村に住む娘ゴザルは、そのしきたりで結婚相手がヤグーブと決まっていたが、ソルドゥーズという若者と密かに恋愛関係になっていた。パナヒは、村の写真を撮るうちに、ゴザルとソルドゥーズが会っているところを撮影したのではないかと疑われる。
政治的な弾圧から逃れようとする男女と旧弊な風習から逃れようとする男女。イラン出身の評論家ハミッド・ダバシが『イラン、背反する民の歴史』に書いているように、イランでは世俗的な中流階級とより信心深い下層階級の間に深い溝がある。パラレルに展開する二組の男女の物語は、分断された双方の世界に光をあてているが、そこで際立つのは緻密な構成や巧みな話術だ。
本作では、パナヒが村に滞在しているという設定を最大限に生かすために、ある要素が重要な役割を果たしている。パナヒが村の写真を撮り始める前後に、そのヒントとなるエピソードが盛り込まれている。
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