コラム

19世紀フランスに深刻な分断を引き起こしたドレフュス事件『オフィサー・アンド・スパイ』

2022年06月02日(木)12時20分

これに対して、ホセ・フェラー監督の『私は告発する(原題)』(58)では、ドレフュスが主人公になり、フェラー自身が演じている。物語は事件が起こる前から始まり、冒頭からエステラジーのスパイ行為が描かれる。参謀本部で研修中のドレフュスは、ユダヤ人であることを自覚し、人一倍努力している。そんな彼がスパイの容疑をかけられたことを知ったエステラジーは、反ユダヤの新聞に情報を流し、彼を追い詰めていく。

一方、ケン・ラッセルが監督したTV映画『逆転無罪』(91)では、ピカール中佐が主人公になり、リチャード・ドレイファスが演じている。真犯人を示す証拠をつかんだピカールは、上官から圧力をかけられ、左遷させられ、投獄されても信念を曲げない。個人的な名誉を重んじる彼は、ユダヤ人が嫌いだと言いつつ、軍が裏切り者を守り、無実の人間に恥辱を与えることを断じて許さない。

では、ポランスキーは事件をどう描いているのか

では、ポランスキーは事件をどう描いているのか。冒頭では、陸軍士官学校の校庭におけるドレフュスの軍籍剥奪が描かれ、彼は悪魔島に送られる。情報局局長のピカール中佐が、差し押さえた一通の気送速達を手がかりに、エステラジーを疑い、信頼できる警官を選んで捜査を進めていく。

その後の展開は、ピカールを主人公にした『逆転無罪』に近いようにも見えるが、本作には独自の視点が埋め込まれ、ピカールを単純に主人公とはいえなくなる。その視点のヒントになるのは、ポスターにも使われている本作のメインカットだ。そこではピカールとドレフュスが向き合っている。本作では、ふたりの立場や距離が次第に変化し、深く結びつけられていくのだ。

本作の冒頭で、ドレフュスの軍籍剥奪をオペラグラスで見ていたピカールは、その様子を「まるで破産して嘆くユダヤの仕立て屋だ」と表現する。それにつづくピカールと友人たちのハイキングは、ある種の伏線ともいえる。

友人たちは、ドレフュスの裁判の話題を持ち出し、カトリックの将校であれば公判になったはずだが、ユダヤ人差別のため非公開になったと、それが当然のことのように語り合う。これに対してピカールは、国家安全保障に関わる裁判だから非公開になったと説明する。そんなピカールはある出来事を思い出している。教官として研修生たちを指導していた彼は、そのひとりドレフュスから、自分の成績が悪いのはユダヤ人だからかと尋ねられたことがあった。

情報局局長として捜査を進めるピカールは、新たな事実が出てくるたびに、ドレフュスに関わる自身の姿勢や行動を振り返るようになる。スパイの調査が始まったとき、ピカールは教え子たちの書類の提出を求められる。ところが、ドレフュスが本部で唯一のユダヤ人だと判明した瞬間、彼が容疑者となり、他の書類が吟味されることはない。ピカールはただそれを見ていた。

ドレフュスの非公開の裁判でも、ピカールはドレフュスを有罪に持ち込むために助言をしていた。有罪を証明する機密情報があると聞かされ、それを信じたからだ。ところが、局長としてその機密情報を確認したピカールは、それがでっち上げであることに愕然とする。自分が反ユダヤ主義にからめとられようとしていることに気づいた彼は、圧力を受けても真実を明らかにしようとする。その結果、ドレフュスと同じような立場に追いやられる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

日産、武漢工場の生産25年度中にも終了 中国事業の

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 8
    使うほど脱炭素に貢献?...日建ハウジングシステムが…
  • 9
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 10
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story