世代間の溝、ドイツの「過去の克服」が掘り下げられる『コリーニ事件』
たとえば、以前取り上げたジュリオ・リッチャレッリ監督の『顔のないヒトラーたち』。アウシュヴィッツ裁判を題材にするのであれば、それを主導した検事総長フリッツ・バウアーを主人公にしたくなるところだが、本作では、駆け出しの架空の検事ヨハンを主人公にしている。そのヨハンは、圧力に晒されながらも、バウアーに導かれるように地道な予備捜査をつづけ、真実を明らかにしていく。
法学者でもあるベルンハルト・シュリンクのベストセラー『朗読者』では、主人公ミヒャエルが、ナチス時代とそれに関する裁判を研究する教授のゼミに登録したことをきっかけに、バウアーとよく似た経歴を持つこの教授に導かれるように、過去と向き合っていくことになる。
さらに、もうひとつ思い出しておきたいのが、ラース・クラウメ監督の『アイヒマンを追え! ナチスがもっとも畏れた男』の冒頭の部分だ。そこには、アイヒマン裁判についてのテレビの告知から抜き出されたバウアーの映像が挿入されている。彼が視聴者に語りかける言葉は、世代と深く関わっている。
「ドイツの若い世代なら可能なはずだ。過去の歴史と真実を知っても克服できる。しかしそれは、彼らの親世代には難しいことなのだ」
生々しく再現される世代間の溝
こうしたことを踏まえて本作を観ると、そこに世代が異なる人物の関係が盛り込まれていることがわかる。
法廷でカスパーが対峙する検察官席には、上席検察官の他に、かつてカスパーと親密な関係にあったヨハナ、そしてマイヤー家の公訴参加代理人であるリヒャルト・マッティンガーが座っている。そのマッティンガーは、カスパーが大学時代に刑法を教わった伝説的な刑事事件の弁護士であり、師弟ともいえるふたりは、裁判の舞台裏で駆け引きを繰り広げる。
マッティンガーは、被害者がハンスだと知ったカスパーが弁護人をおりようと考えているのを知り、「望んだ仕事なら弁護に徹しろ」と言って、彼の背中を押す。だが、裁判が進行するに従ってマッティンガーの態度が変化し、最終的には対決することになる。
その対決では、1968年に弁護士資格を取得したマッティンガーと今まさに弁護士として第一歩を踏み出しつつあるカスパーの出発点が巧妙に対置されている。彼らの対話には、かつてバウアーが指摘した世代間の溝が、2001年というより現在に近い時代を背景に生々しく再現されている。
過去の克服という不可能事への希求
そして、この裁判はカスパーにとって重要な通過儀礼にもなる。傍聴者もいない裁判前の手続きにローブを着用してきたカスパーは、判事や検察官の失笑を買う。しかし、裁判の過程で変貌を遂げていく。カスパーが2歳のときに家を出た父親との関係が思わぬかたちで復活する展開も興味深い。その変化は、沈黙していたコリーニが、カスパーの父親の話に反応して口を開いたことと無関係ではない。法学者としてのシュリンクは『過去の責任と現在の法 ドイツの場合』のなかで、過去の克服の意味を以下のように説明している。
「英語にもフランス語にもそれに相当するものがない過去の克服という概念がドイツでよく用いられるようになったという事実は、不可能事への希求を表している」
カスパーは、まさに不可能事を希求することで、マッティンガーとは違う道を進む弁護士として、自己を確立していくことになる。
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