コラム

ホロコースト生存者の第二世代が抱える戦争のトラウマ、『運命は踊る』

2018年09月28日(金)15時00分

これに対して、フォルマンの体験に基づくアニメーション・ドキュメンタリー『戦場でワルツを』では、2006年の冬に、主人公の映画監督が、旧友から24年前のレバノン侵攻に起因する悪夢に悩まされている話を聞かされ、自分には当時の記憶がまったくないことに気づくところから始まる。そんな主人公は、失われた記憶を取り戻すために、世界中に散らばる戦友たちに会いにいく。

しかし、2本の映画の核には共通する問題意識がある。それらがほぼ同時期に作られているのは偶然ではない。2006年に起こった第二次レバノン侵攻が刺激剤になっているからだ。

マオズにとっては、それが転機になった。彼は以前から自分の体験を映画にしようとしてきたが、あまりにも生々しい記憶がよみがえり、トラウマを克服することができなかった。しかし、若い世代が自分と同じ体験をしたことで、その苦しみがもはや自分だけの問題ではなくなり、『レバノン』を作り上げることができた。

先に引用したホロコースト生存者の第二世代に関するマオズの発言は、こうした戦争体験とそれに基づく映画を踏まえると、その意味がより明確になるだろう。第二世代は、戦争のトラウマに苦しんでいても、それを表に出せず、感情を押し殺すか、あるいは忘却するしかなかった。しかし、『レバノン』や『戦場でワルツを』によって、世代を超えて人々を蝕むトラウマが明らかにされた。

トラウマの影響と抑圧に対する反動

『運命は踊る』では、そんなトラウマが前作とはまったく異なるアプローチで描き出される。まず注目したいのは、第一部の緻密な構成だ。その巧みな話術は、私たちにトラウマの影響を想像させる。

第一部で、それまで平静を装ってきたミハエルは、誤報と知った途端に感情を爆発させ、自分を見失っていく。ダフナは取り乱す夫に、「聞いて。過去になにかあったこと、私、知っているのよ。今、喋っているのは悪魔。あなたじゃない」といって宥めようとする。

そんなエピソードを踏まえて、映画の導入部を振り返ってみると、構成の緻密さがよくわかる。ダフナは軍人たちが現れた途端に気を失い、彼らに薬を投与され、誤報だとわかるまで意識を失っている。ミハエルは外出中の娘に電話するが、連絡がとれず、娘が帰宅したときには、誤報だと判明している。その間、ミハエルの兄は駆けつけているものの、彼はひとりで息子の戦死と向き合っている。

そんなミハエルが、施設に暮らす母親に孫の死を知らせに行く場面も印象に残る。ミハエルと対面した母親が最初に口にする言葉は、「シャツを入れなさい」だ。彼女は、息子の様子から重大なことが起こったと察するのではなく、服装の乱れをとがめる。それだけでも彼らの関係を想像することができる。だから、誤報だと判明したときに、トラウマを抱えるミハエルのなかで、抑圧に対する反動が起きる。

世代を超えて影響を及ぼすトラウマに潜む歪み

さらに、この映画の後半にも、ミハエルの心理がユニークなスタイルで表現される場面がある。ヨナタンは、スケッチブックにかつて父親から聞かされた話をもとにしたイラストを描いているが、それが動き出す。そのアニメーションのなかでは、ミハエルの母親が、かつて13歳のミハエルを魅了したピンナップガールに姿を変える。それは、抑圧と抑圧が生み出す見せかけの男らしさを象徴していると見ることができる。

ミハエルが、あるいは彼の世代が、心の傷や痛みを隠すのではなく、露にし、その苦しみを家族と分かち合えていれば、運命も社会も変わっていたかもしれない。ホロコーストを生き延びることと、イスラエルが自ら仕掛けた最初の戦争とされるレバノン侵攻を生き延びることは、意味がまったく違うからだ。この映画は、世代を超えて影響を及ぼすトラウマに潜む歪みを描き出している。


『運命は踊る』
(C) Pola Pandora - Spiro Films - A.S.A.P. Films - Knm - Arte France Cinéma - 2017
9月29日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか全国順次公開

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

焦点:アサド氏逃亡劇の内幕、現金や機密情報を秘密裏

ワールド

米、クリミアのロシア領認定の用意 ウクライナ和平で

ワールド

トランプ氏、ウクライナ和平仲介撤退の可能性明言 進

ビジネス

トランプ氏が解任「検討中」とNEC委員長、強まるF
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプショック
特集:トランプショック
2025年4月22日号(4/15発売)

大規模関税発表の直後に90日間の猶予を宣言。世界経済を揺さぶるトランプの真意は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇した「透けレギンス」投稿にネット騒然
  • 2
    【クイズ】売上高が世界1位の「半導体ベンダー」はどこ? ついに首位交代!
  • 3
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 4
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 5
    「2つの顔」を持つ白色矮星を新たに発見!磁場が作る…
  • 6
    300マイル走破で足がこうなる...ウルトラランナーの…
  • 7
    今のアメリカは「文革期の中国」と同じ...中国人すら…
  • 8
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 9
    トランプ関税 90日後の世界──不透明な中でも見えてき…
  • 10
    米経済への悪影響も大きい「トランプ関税」...なぜ、…
  • 1
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜け毛の予防にも役立つ可能性【最新研究】
  • 2
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ? 1位は意外にも...!?
  • 3
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最強” になる「超短い一言」
  • 4
    あなたには「この印」ある? 特定の世代は「腕に同じ…
  • 5
    パニック発作の原因とは何か?...「あなたは病気では…
  • 6
    しゃがんだ瞬間...「えっ全部見えてる?」ジムで遭遇…
  • 7
    中国はアメリカとの貿易戦争に勝てない...理由はトラ…
  • 8
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 9
    動揺を見せない習近平...貿易戦争の準備ができている…
  • 10
    【渡航注意】今のアメリカでうっかり捕まれば、裁判…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 3
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 6
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった.…
  • 7
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 8
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story