コラム

女子高生殺人事件を発端に、韓国社会に内在する「軍事主義」を暴きだす

2015年12月25日(金)16時00分

キム・ギドク監督『殺されたミンジュ』。事件から1年が経過した頃に、加害者たちが一人また一人と謎の集団に拉致され、拷問を加えられ、自白を強要されていく。

 世界的に評価される韓国映画の異端児キム・ギドク。その新作『殺されたミンジュ』は、ミンジュという女子高生が、無惨に殺害される場面から始まる。ソウルの街を歩いていた彼女は、男たちに付け回され、路地の暗がりに追いつめられ、顔を粘着テープで巻かれて命を奪われる。その事件は世間の注目を集めることもなく、闇に葬り去られる。ところが、事件から1年が経過した頃に、加害者たちが一人また一人と謎の集団に拉致され、拷問を加えられ、自白を強要されていく。

 謎の集団のリーダーは、痛めつけられて怯える加害者に紙と筆記具を差し出し、去年の5月9日に何をしたかを書かせる。そして、その内容が真実だと判断すると、今の心境を問いただし、口止めをして解放する。事件の証拠を入手するのであれば、録音や録画で事足りるはずだが、そこにキム・ギドクの狙いを垣間見ることができる。加害者が事件のことを語れば、私たちの関心はその真相に向かう。しかしこの映画では、加害者が何を書いたのかは私たちにはわからない。焦点となるのは、真相ではなく、加害者と謎の集団の攻防なのだ。

キム・ギドク監督『殺されたミンジュ』


 では、キム・ギドクはそんな攻防を通して何を描き出しているのか。彼が掘り下げているのは、確かに存在していながら、具体的に表現するのが難しいテーマ、"軍事主義(ミリタリズム)"だといえる。軍事主義は軍隊の内部だけに存在しているわけではない。女性学の研究者クォン・インスクは論文「我われの生に内在する軍事主義」(『韓国フェミニズムの潮流』所収)のなかで以下のように説明している。

「軍事主義の拡大は、現代韓国においては、パク・チョンヒ[朴正煕]政権やチョン・ドゥファン[全斗煥]政権下で軍事化された教育、経済政策や社会を組織するにあたっての軍隊組織概念の使用、性別分業化された労働と文化の拡大を通じて強固になった」

 長きにわたる軍事政権を通して社会や日常に浸透してきた軍事主義の影響は、南北分断という状況がつづく限り、そう簡単に消え去るものではない。だが、それを具体的に表現するのは容易ではない。一般的に軍事主義は軍隊に関わるものだと考えられている。また、民族主義や家父長制と多くの共通点を有するため、それらの陰に隠れて意識されることがないからだ。

 この映画の冒頭では、ミンジュが殺害された後で、実行犯のリーダーからそれを命じた人物へと次々に結果が報告されていく。実行犯の一人は、拉致される前に恋人から仕事のことを尋ねられ、嫌な仕事でも地位を守るために上の指示に従わなければならないと語る。そうした導入部のエピソードに、軍事主義的な上意下達の位階秩序が示唆されていることがわかると、その後の展開がより興味深いものになる。

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

トランプ氏、米軍制服組トップ解任 指導部の大規模刷

ワールド

アングル:性的少数者がおびえるドイツ議会選、極右台

ワールド

アングル:高評価なのに「仕事できない」と解雇、米D

ビジネス

米国株式市場=3指数大幅下落、さえない経済指標で売
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 5
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 9
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story