コラム

女子高生殺人事件を発端に、韓国社会に内在する「軍事主義」を暴きだす

2015年12月25日(金)16時00分

 謎の集団は、位階秩序の下位から上位の人間へと順番に拉致していく。下位の人間は、自分の犯罪行為を認めた後で、罪悪感や不安、苦痛に苛まれるようになる。しかし、上位の人間は、善悪に関わらず組織に忠誠を誓うのが国のためだと開き直る。それは、命令しただけで実行していないため、罪の意識が薄いということとは違う。上位の人間も位階を上る段階で手を汚しているはずだからだ。この下位と上位の反応の違いは、軍事主義がどこまで深く内面化されているかを表している。

 一方、謎の集団の行動にもキム・ギドクの洞察が際立つ。彼らは毎回、兵士や警官、ヤクザなどの集団に姿を変えて、加害者を拉致し、拷問を加える。それは加害者を威圧するためだが、別な意味も込められている。筆者が思い出すのは、ユン・ジョンビン監督の『悪いやつら』のことだ。この映画は、チョン・ドゥファンの後を継いだノ・テウ大統領が、組織犯罪の一掃を目指して1990年に始めた"犯罪との戦争"を背景にしているが、見逃せないのは映画の冒頭だ。冒頭に映し出されるのは、陸軍士官学校で同期だったチョン・ドゥファンとノ・テウが軍服姿で肩を並べる写真であり、この映画は犯罪との戦争を描くだけではなく、政界も警察も犯罪組織もその根元に軍事主義があることを物語ってもいるのだ。

sub1_R.jpg

キム・ギドク監督『殺されたミンジュ』   事件から1年が経過した頃に、加害者たちが一人また一人と謎の集団に拉致され、拷問を加えられ、自白を強要されていく。

 それを踏まえるなら、謎の集団が変装する兵士や警官、ヤクザもみな軍事主義と結びついていることになる。彼らは、軍事主義を体現する加害者たちと対決しようとして、軍事主義にからめとられていく。しかし、この集団は一枚岩ではない。キム・ギドクはそれを実にユニークな演出で表現している。最初に集団に拉致され、その後この集団の正体を突き止めようとする加害者を演じているのはキム・ヨンミンだが、彼は他に7役をこなしている。その7役は、謎の集団を構成する7人のメンバーに対応している。リーダーを除く6人のドラマでは、彼らがそれぞれに世間に対して不満を持つ原因となる男たちを演じ分け、リーダーのドラマでは立場が逆転し、軍隊時代にこのリーダーから散々暴力を振るわれた男を演じている。

sub9_R.jpg

キム・ギドク監督『殺されたミンジュ』   拉致を繰り返すうちに軍事主義をめぐる混乱と逆転が生じる。

 つまり、この集団は、軍隊の体質を引き継ぐリーダーと世間に不満を抱えたメンバーの寄せ集めに過ぎない。そのため拉致を繰り返すうちに軍事主義をめぐる混乱と逆転が生じる。先述したように、拉致した加害者が位階秩序の上位の人間になると、彼らは筋金入りの軍事主義を露にする。これに対して謎の集団は、彼らの変装が象徴する軍事主義に次第に耐えられなくなり、結束が乱れていく。しかし、ドラマは双方の激しいせめぎ合いだけでは終わらない。最後に思わぬところから、軍事主義に対する怒りと憎しみが爆発し、衝撃的な結末を迎えることになる。


《参照/引用文献》『韓国フェミニズムの潮流』チャン・ピルファ、クォン・インスク他、西村裕美・編訳(明石書店、2006年)

●映画情報
『殺されたミンジュ』
監督:キム・ギドク
公開:2016年1月16日(土)より、ヒューマントラストシネマ有楽町ほか全国順次公開
(c) 2014 KIM Ki-duk Film. All Rights Reserved.

プロフィール

大場正明

評論家。
1957年、神奈川県生まれ。中央大学法学部卒。「CDジャーナル」、「宝島」、「キネマ旬報」などに寄稿。「週刊朝日」の映画星取表を担当中。著書・編著書は『サバービアの憂鬱——アメリカン・ファミリーの光と影』(東京書籍)、『CineLesson15 アメリカ映画主義』(フィルムアート社)、『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)など。趣味は登山、温泉・霊場巡り、写真。
ホームページ/ブログは、“crisscross”“楽土慢遊”“Into the Wild 2.0”

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

中国、海運造船業界への米調査影響を考察 供給網の安

ビジネス

高島屋、今期営業益予想を上方修正 百貨店コスト削減

ビジネス

午後3時のドルは151円後半に下落、米中対立懸念の

ワールド

トランプ氏、26日にマレーシア訪問 タイ・カンボジ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:中国EVと未来戦争
特集:中国EVと未来戦争
2025年10月14日号(10/ 7発売)

バッテリーやセンサーなど電気自動車の技術で今や世界をリードする中国が、戦争でもアメリカに勝つ日

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 2
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由とは?
  • 3
    メーガン妃の動画が「無神経」すぎる...ダイアナ妃をめぐる大論争に発展
  • 4
    車道を一人「さまよう男児」、発見した運転手の「勇…
  • 5
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になり…
  • 6
    筋肉が目覚める「6つの動作」とは?...スピードを制…
  • 7
    連立離脱の公明党が高市自民党に感じた「かつてない…
  • 8
    あなたの言葉遣い、「AI語」になっていませんか?...…
  • 9
    1歳の息子の様子が「何かおかしい...」 母親が動画を…
  • 10
    ウィリアムとキャサリン、結婚前の「最高すぎる関係…
  • 1
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 2
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな飼い主との「イケイケなダンス」姿に涙と感動の声
  • 3
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以外の「2つの隠れた要因」が代謝を狂わせていた
  • 4
    【クイズ】日本人が唯一「受賞していない」ノーベル…
  • 5
    中国人が便利な「調理済み食品」を嫌うトホホな理由…
  • 6
    ロシア「影の船団」が動く──拿捕されたタンカーが示…
  • 7
    ベゾス妻 vs C・ロナウド婚約者、バチバチ「指輪対決…
  • 8
    時代に逆行するトランプのエネルギー政策が、アメリ…
  • 9
    ウクライナの英雄、ロシアの難敵──アゾフ旅団はなぜ…
  • 10
    トイレ練習中の2歳の娘が「被疑者」に...検察官の女…
  • 1
    「最悪」「悪夢だ」 飛行機内で眠っていた女性が撮影...目覚めた時の「信じがたい光景」に驚きの声
  • 2
    かばんの中身を見れば一発でわかる!「認知症になりやすい人」が持ち歩く5つのアイテム
  • 3
    「大谷翔平の唯一の欠点は...」ドジャース・ロバーツ監督が明かすプレーオフ戦略、監督の意外な「日本的な一面」とは?
  • 4
    カミラ王妃のキャサリン妃への「いら立ち」が話題に.…
  • 5
    増加する「子どもを外注」する親たち...ネオ・ネグレ…
  • 6
    悲しみで8年間「羽をむしり続けた」オウム...新たな…
  • 7
    バフェット指数が異常値──アメリカ株に「数世代で最…
  • 8
    「日本の高齢化率は世界2位」→ダントツの1位は超意外…
  • 9
    お腹の脂肪を減らす「8つのヒント」とは?...食事以…
  • 10
    数千円で買った中古PCが「宝箱」だった...起動して分…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story