なぜ日本の音楽教室が、クラシックの本場でも受け入れられたのか
音楽の楽しさを教える上で、もっとも重要な役割を担うのが講師である。ヤマハの場合は演奏者というより、教育者としての素養が求められるのが特徴だ。それゆえに、さまざまな研修でヤマハの理念や教育手法を十分に理解し、身につけた者だけが晴れて講師になれる。さらに1967年からは、「ヤマハグレード」と呼ばれる音楽能力検定が設けられた。13級から2級までのうち、講師を目指すなら5級以上を取得しなければならない。
このように講師についても体系化された手厚い研修制度があり、もちろん海外の講師にも適用されている。初めはヤマハメソッドの開発を担った人間が赴き、現地の講師に理念やノウハウをしっかりと伝授していた。やがて、ヤマハの教育法に賛同してくれる講師のネットワークが強固なものへと成長することで、講師を育成する体制や組織ができ上がっていったのである。
しかし、歴史が浅いゆえにものの良し悪しを合理的に判断するアメリカでの成功は理解できても、クラシックの本場であるヨーロッパで認められたことには驚くばかりだ。その背景について、牧野さんがこんな話をしてくれた。
「音楽を"苦行"から解放したことが一番大きいのではないでしょうか。音楽は芸術の分野ですから、音楽を学ぶということは一流の音楽家を目指すような厳しい道という意味もありました。それをヤマハは、まずは音楽を楽しもう、もっと音楽を好きになろうと提唱したわけです」
歴史のある国ほど伝統的な手法を大事にすることを考えると、東洋からやってきたヤマハの考え方は思いもよらないイノベーティブなものに映ったであろう。創立者の川上源一・日本楽器製造社長から受け継がれた、生涯にわたって音楽を楽しめる社会であってほしいという願いは、今もヤマハの精神性の中に脈々と流れ続けている。