着物は手が届かない美術品か、海外製のインクジェット振袖か
ジャカード機の導入で複雑なデザインが織りでも表現できるようになると、染柄、すなわち、錦絵のような絢爛豪華な絵柄を織りの職人も求めるようになる。それを供給したのは京都であり、日本画家が名を隠して副業としてデザインを提供した。
中には関東の産地に移り住んで図案家、今でいうデザイナーという職業を確立させた者も出てきた。と同時に織物産地の学校に図案コースが作られ、織物デザイナーが養成されはじめた。
戦後になると、織物産業は斜陽化しはじめ、織物とそのデザインは海外に渡り始める。ハワイに行ってアロハシャツになり、軍関係者がスカジャンをアメリカに伝える。さらにはアフリカに輸出され、精緻化された着物のデザインはモチーフをアフリカのものに替えて踏襲された。長年積み重ねた着物のデザイン力は民族や文化を超えたのである。
おしゃれ着として着物を着よう
この本の著者たちからこういう話を聞いてから、着物を眺めると見方が全く変わってくる。着物は着るというよりも空気とともにまとう衣料なことがわかる。反物の裏を見るようになり、糸の先染めか後染めかに目を凝らすようになる。絹は高いが、手の届くものとして綿やウール、さらにシルクウールという混紡があることを知る。
そんなことを教えてくれる新しいコンセプトのショップも本の中で紹介しているので、尻込みせずに訪ねてみてほしい。
着物は暑くて重くて苦しくて、晴れの場に我慢して着て、終わったら一刻も早く脱ぎたい衣類だけでないことをまず広めないといけない。夏祭りや花火大会、観光地でのそぞろ歩き、卒業式に成人式、結婚式だけの衣装にしてはいけない。週末の繁華街で思いっきり気分を変えて歩きたい、美術館や展覧会にいつもと違うおしゃれをして出歩きたい。普段会っている会社仲間や友人に少し違う自分を見せたい。
その時ばかりの流行に流されるだけでなく、素材の肌触り感やこういうプロセスだからこのデザインができていることを人に伝えられるものをまとう。そのような日常が組み込まれた社会を残すことが唯一、伝統服飾文化を残す道ではないだろうか。誰も着なくなり、博物館のウインドウ越しにのみ見る美術品になるのはあまりに悲しい。
『きものとデザイン――つくり手・売り手の150年』
島田昌和 編著
ミネルヴァ書房
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[筆者]
島田昌和(しまだ・まさかず)
1961年生まれ。1993年明治大学大学院経営学研究科博士課程単位取得満期退学。2005年博士(経営学、明治大学)。現在、学校法人文京学園理事長、文京学院大学経営学部教授。渋沢栄一研究の第一人者。主著『渋沢栄一と人づくり』(共編著)有斐閣、2013年。『渋沢栄一 社会企業家の先駆者』岩波書店、2011年。『進化の経営史――人と組織のフレキシビリティ』(共編著)有斐閣、2008年。