警察幹部がなぜ鬼平を愛読?──から始まった東京での「江戸」探し
まさに正義の味方。だが同じ史料によれば、見回りの途中で貧しい者に小銭を与える姿を指して「仁政の安売り」と嫌悪したり(「仁政」とは、思いやりのある政治のこと)、火事が起きればいち早く屋敷の提灯を掲げさせて火事場泥棒を防ぐ平蔵のことを「スタンドプレー」と揶揄したりする声もあったようだ。いつの時代も、やっかみというものはあるらしい。
一方の鬼平(小説の長谷川平蔵)も、決して勧善懲悪の人物ではない。「時に盗賊の視点で世の矛盾を突き、悪人とされる人間にも理があること、善人と評される人間も、善と悪の狭間で葛藤を抱えていること」(「あとがき」より)といった人間の心情が描かれているからこそ、池波の作品の中でも特に時代を超えて愛されているに違いない。
小説と史実
そんな平蔵が率いた火付盗賊改方の役宅(今で言う官舎)があったのは、現在の千代田区役所・九段第3合同庁舎ビルが立つ場所(千代田区九段南1)あたり。皇居北の清水門から望めるため、小説では「清水門外の役宅」と呼ばれ、物語の主舞台となっている。実際この地は、幕府の公用施設「御用屋敷」の跡地であり、今も昔もお上の御用を務めている。
だがこれは、あくまで小説『鬼平犯科帳』における設定だ。史実としては、火付盗賊改方の役宅は長官の屋敷、つまり平蔵の屋敷に置かれていた。
史実の長谷川平蔵は、19歳の時に築地・鉄砲洲(中央区湊)から本所・菊川町(墨田区菊川)に引っ越し、1795年に50歳で亡くなるまで、この菊川町で暮らした。したがって、当時の火付盗賊改方の役宅も、ここにあったことになる。地下鉄・都営新宿線の菊川駅前には、屋敷跡の銘板があるそうだ。
この菊川町の北に、本所・入江町(墨田区緑)がある。実はここにも、墨田区が「長谷川平蔵の旧邸」という案内板を設置している場所がある。現在はコンビニエンスストアになっているが、こちらは、小説上で長谷川平蔵の屋敷が置かれた場所なのだという。
このコンビニエンスストアには、かつて平蔵とは無縁の、別の長谷川という旗本の屋敷があった。池波正太郎も、著者のように古地図を持って江戸の街を歩き回り、この地を探し当てたのかもしれない。
史実ではない、小説上で設定された場所までもがこうして「史跡」となっていることから、改めて『鬼平犯科帳』の人気ぶりがうかがえる。小説は累計2700万部を突破しているそうだが、1969年から続いたテレビドラマの影響も大きいだろう。ちなみに2017年には、初のアニメ化もされている。
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