コラム

絶望感、無力感が破壊衝動に 闇堕ちしやすい独身男性とフェミサイドの生まれ方

2023年03月23日(木)16時45分

ブラックピルの魅惑

ただし、「レッドピルを飲む」だけなら、女性や、女性と親しくできる男性を襲撃する必要はない。結婚がそれほど不公平だというならむしろ独身貴族を謳歌するか、あるいは逆に自分も選ばれるように頑張ればいいのだ。

しかし、そこに低所得などの社会的不安、さらに未練や自信のなさが加わると、よりこじれた精神になりやすい。

ここで登場するのが、レッドピルの発展型ともいえるブラックピルだ。

インセルの集まる掲示板などで、「ブラックピルを飲む」とは、経済力、社会的地位、容姿や性的魅力などで不利な男性が立場を改善できる見込みはほとんどない、と認めることを意味する。

これは「世界のあり方は変わらない」という諦め、「何をやっても無駄」という絶望感、無力感である。

一般的に無力感は破壊衝動を招きやすい。


「無力であれば人は苦悩する...行動する能力を取り戻そうとせずにいられない...一つの方法は、権力を持つ人や集団に従って一体化することである...もう一つの方法は人の破壊力に頼ることである...創造できない人は破壊することを望む」。(エーリッヒ・フロム『悪について』筑摩書房, p30-31.)

「ブラックピルを飲む」ことはインセルが闇堕ちする決定的瞬間といえる。

埋もれるインセル

それでは、日本ではどうなのか。

2020年の国勢調査によると、男性の生涯未婚率は28.3%だった。そのなかには経済的理由などで結婚を諦めたインセルも多いとみられる。

SNSを覗くと、生活への不安や心身の不調を訴えるインセルの声は珍しくない。先日Twitterでは「#独身中年男性」がトレンド入りした。

しかし、日本でインセル的過激思想が拡大しているかどうかを把握するのは難しい。データがあまりに不足しているからだ。

例えば、先述のようにインセルには自殺願望が目立つが、警察庁が自殺者の統計項目に「配偶者の有無」を加えたのはようやく今年からだ。日本の自殺者には40~50歳代男性が特に目立つが、自殺願望に傾くインセルに関する調査は、これでやっとスタート地点に立ったという段階なのである。

インセル過激派は「いない」

これが他殺になると、なおさら不透明だ。

日本にしばしば現れる「死刑になりたかった」「幸せそうな人が妬ましかった」という通り魔には、欧米のインセル事件で目立つ、人生の清算に他人をつき合わせる思考に共通する。

また、2021年8月の小田急線無差別刺傷事件のように、とりわけ女性が標的になる事件も発生している。

しかし、これらが欧米で懸念されるインセル・テロに該当するかさえ定かでない。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

再送-EQT、日本の不動産部門責任者にKJRM幹部

ビジネス

独プラント・設備受注、2月は前年比+8% 予想外の

ビジネス

イオン、米国産と国産のブレンド米を販売へ 10日ご

ワールド

中国、EU産ブランデーの反ダンピング調査を再延長
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story