コラム

サウジ人記者殺害事件が単純に「報道の自由をめぐる問題」ではない3つのポイント

2018年10月24日(水)16時00分

トルコはなぜ熱心か

次に、事件が発生したトルコは、なぜその究明に熱心なのか。

トルコ政府が人権の観点からサウジ人記者の安否を重視していたとは思えない。トルコのエルドアン大統領は、サウジのムハンマド皇太子と同様、独裁化の傾向を強めており、トルコ政府自身がサウジ政府と同じくらい、あるいはそれ以上に表現の自由を制限しているからである。

「国境なき記者団」によると、現在世界で167人のジャーナリストが拘束されているが、このうちトルコ国内では27人が刑務所に収監されており、これは世界で最多である。また、2016年11月にはSNSが封鎖されている。

むしろ、トルコ国内で発生した事件とはいえ、トルコ人でもないジャーナリストの失踪事件にトルコ政府が熱心であることは、主にサウジアラビア政府を「とっちめるため」だったといえる。

トルコとサウジはいずれもアメリカの同盟国で、宗派もスンニ派で共通する。また、トルコはムハンマド皇太子が推し進めるイエメン内戦への介入にも協力してきた。

その一方で、両国の間には拭い難い対立もある。

例えば、サウジアラビア政府が「テロ組織」と認定するイスラーム団体「ムスリム同胞団」は、トルコのエルドアン大統領の支持基盤の一つである。また、サウジがアメリカとともに「反アサド」の立場からシリア内戦に介入したのと対照的に、トルコはロシアやイランとともにアサド政権の存続を認めている。

さらに、トルコと同様、ムスリム同胞団に友好的なカタールに対して、サウジアラビアは2017年6月から経済制裁を強いているが、これに対してトルコはカタールに食糧などを送って支援するだけでなく、トルコ軍をカタールに駐留させ、事実上サウジの圧力から同国を守ってきた。


こうした背景のもと、「サウジ政府によるサウジ人記者の圧殺」を世界に宣伝することは、トルコにとってサウジに「非人道的な独裁国家」というレッテルを貼り、外交的に追い詰める手段となる。だからこそ、トルコ政府はこの事件の捜索に熱心だったのである。

事件の収束の政治力学

  最後に、今回の事件の捜査がトルコとサウジの政治的な対立を反映したものだったとすると、今後の展開も、人権より政治が優先されるものになるとみられる。

サウジアラビア当局がカショギ氏の死亡を認める以前、ムハンマド皇太子と対立してドイツに亡命しているハリド・ビン・ファルハン王子は「サウジ政府がスケープゴートを持ち出す」と予測していた。この観点からみれば、カショギ氏の死亡を認めたサウジ当局が、極めてスピーディーに18人を逮捕したことは不思議でない。

プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

米国株式市場=S&P・ナスダック上昇、トランプ関税

ワールド

USTR、一部の国に対する一律関税案策定 20%下

ビジネス

米自動車販売、第1四半期は増加 トランプ関税控えS

ビジネス

NY外為市場=円が上昇、米「相互関税」への警戒で安
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story