コラム

サウジ人記者殺害事件が単純に「報道の自由をめぐる問題」ではない3つのポイント

2018年10月24日(水)16時00分

サウジの発表に対して、トルコの与党、公正発展党のスポークスマンは「トルコは発生したどんなことも明らかにする」と強調し、調査の継続を示唆した。しかし、18人の逮捕が多くの人に「トカゲのしっぽ切り」とみられたとしても、トルコ政府にとってもこれがサウジ追及の潮時になる可能性は大きい。

トルコとサウジのどちらにとっても重要な同盟国であるアメリカのトランプ大統領は、基本的にサウジアラビア政府を擁護する立場にある。

オバマ大統領はイランとの関係を改善し、2015年に歴史的なイラン核合意を成立させたが、トランプ大統領には「反イラン」が鮮明で、イランを敵視するサウジとの同盟関係を再構築することに力を注いできた。2017年5月、初めての外遊でトランプ氏がサウジアラビアを訪問したことは、その象徴だ。

そのため、トランプ大統領はトルコ当局が事件の重要証拠である音声データを握っているとみられる以上「過失による死亡」というサウジ当局の説明に疑念を示さざるを得なかったものの、「ムハンマド皇太子がこの件について知らなかったことは起こりえる(possible)」とも述べている。さらに、サウジへの経済制裁への可能性を否定しない一方で、武器輸出は続けるとも明言している。そこには「これで事件を収束させたい」という、サウジやアメリカの意図をうかがえる。

その一方で、トルコのエルドアン大統領はシリア内戦でのイランとの協力やトルコ製鉄鋼・アルミニウムの輸入関税引き上げなどをめぐってアメリカと対立してきた。しかし、一つの焦点だった、トルコ当局がテロ容疑で拘留していたアメリカ人牧師の解放をきっかけに両国の関係は改善に向かいつつあり、この状況下でこれ以上トランプ政権の不興を買うことは避けたいところだ。

だとすれば、アメリカからさらなる「ボーナス」を引き出したり、世界に向かって体面を保ったりするために強気の発言があっても、トルコがサウジの幕引きを受け入れたとしても不思議ではないのである。

「独裁者」対「独裁者」の時代

こうしてみたとき、今回の事件はトルコとサウジアラビアの「独裁者」それぞれの事情や両国の対立を映し出すものだ。批判する者を排除するムハンマド皇太子と、自国のことは棚に上げて「人権」を外交的な手段として用いるエルドアン大統領は、どちらも権力を集中させようとする「独裁者」である点で一致する。

欧米諸国では、専制君主国家だったペルシャ帝国と民主政ギリシャの間の戦争以来、「独裁者」と民主主義が争う構図が好んで語られがちだが、実態としては「独裁者」同士の争いも絶えない。今回の事件が収束したとしても、国際情勢が流動化する今後の世界では、トルコとサウジアラビアの間の摩擦のような事案は、増えこそすれ減ることはないとみてよいだろう。

※当記事はYahoo!ニュース 個人からの転載です。

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。他に論文多数。

20250225issue_cover150.png
※画像をクリックすると
アマゾンに飛びます

2025年2月25日号(2月18日発売)は「ウクライナが停戦する日」特集。プーチンとゼレンスキーがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争は本当に終わるのか

※バックナンバーが読み放題となる定期購読はこちら


プロフィール

六辻彰二

筆者は、国際政治学者。博士(国際関係)。1972年大阪府出身。アフリカを中心にグローバルな政治現象を幅広く研究。横浜市立大学、明治学院大学、拓殖大学、日本大学などで教鞭をとる。著書に『イスラム 敵の論理 味方の理由』(さくら舎)、『世界の独裁者 現代最凶の20人』(幻冬舎)、『21世紀の中東・アフリカ世界』(芦書房)、共著に『グローバリゼーションの危機管理論』(芦書房)、『地球型社会の危機』(芦書房)、『国家のゆくえ』(芦書房)など。新著『日本の「水」が危ない』も近日発売

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ECB預金金利、夏までに2%へ引き下げも=仏中銀総

ビジネス

米石油・ガス掘削リグ稼働数、6月以来の高水準=ベー

ワールド

ローマ教皇の容体悪化、バチカン「危機的」と発表

ワールド

アングル:カナダ総選挙が接戦の構図に一変、トランプ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 5
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story