コラム

イギリス離脱交渉の開始とEUの結束

2017年05月08日(月)16時42分

ユンカー欧州委員会委員長(右)はメイ英首相と会談し、イギリスの離脱交渉の姿勢に不信感を持ったとされる  Hannah McKay-REUTERS

<4月29日、欧州理事会は、英国のEU離脱交渉の基本原則をまとめた。EUの姿勢は極めて硬く、イギリスへの不信感も募っている。交渉の行方には悲観的にならざるを得ない>

イギリス離脱交渉原則の決定

2017年4月29日の欧州理事会(EU首脳会議)はEU条約第50条の加盟国離脱規定に基づいてイギリスの離脱を議論し、交渉の基本原則をまとめた。第50条2項は、離脱を希望する国が離脱の通知を行ってから2年間の交渉期限を定めている。イギリスはちょうど1ヶ月前の3月29日にこの正式な通知を欧州理事会常任議長に対して行ったので、タイムリミットは2019年3月29日ということになる。

もちろんこの期限より前に離脱協定がまとまり、より早い日程でイギリスがEUを離脱することも理論的には可能であるが、膨大な交渉の対象とこれまでの政治的な対立を見ると、それは現実的ではない。むしろ、離脱交渉が2年の期限内にまとまらないリスクも大きい。第50条2項が定めるように、交渉が通告から2年以内にまとまらない場合、欧州理事会が全会一致で決定すれば、離脱交渉を延長することは可能である。もし、それが出来ない場合には、いきなりイギリスがEUから切り離されることとなる。

2016年6月23日のEU離脱をめぐる国民投票でイギリスが離脱を決定した直後には、イギリスとEUの関係は、ノルウェーとEUの関係のような欧州経済領域型の協定を結んで現状の域内市場内の関係を損なわない安定したものになるのではないかという観測もあった。

しかし、イギリスはEUからの移民を認めないことに頑なである。EUの域内市場にとってきわめて重要なヒトの自由移動という原則に例外を求めるイギリス側の発言が続いたこともあって、希望的観測は急速にしぼんでいった。その後、EUとイギリスとの関係は「ハードBrexit(イギリス強硬離脱)」と言われるように、EUの存在の中核とも言える域内市場から切り離される可能性が高いと見られるようになってきた。

2017年3月25日、イギリスを除くEUの首脳たちはローマに集い、欧州経済共同体(EEC)条約(ローマ条約)の調印60周年を祝った。このEEC条約の核となるのが構成国間の共同市場の創設である。共同市場は1980年代からは域内市場と言われることが多いが、その意味するところは経済活動に関わるモノ、ヒト、カネ、サービスが国境を越えて制限無く自由に動き回れる経済圏のことである。欧州理事会で発表された宣言文書にもあるように、これら4つの自由は不可分であり、そのうちの一つであるヒトの自由移動だけに制限をかけ、「つまみ食い」的にモノ、カネ、サービスの3つの自由だけを求めることは、EU側から見ればとうてい認められないし、EU司法裁判所のようなEU機関が市場統合の問題に関与することも当然のことなのである。

そうは言っても、イギリスには約300万人ものEU構成国の市民が居住し、多くの企業が経済活動を行っている。4月29日のEU首脳会議文書は、市民、企業、利害関係者等に確実性と法的な安定性を与え、イギリス離脱による影響を抑えること、そしてイギリスのEU離脱条件を明確に規定することをまず求めている。そして離脱条件が明確に規定された後にはじめて、離脱移行期間と離脱後のEUとイギリスの新しい関係を規定する協定を交渉することを理事会文書は求めている。

このような背景から、EU首脳会議は公式の文書で離脱交渉にあたるガイドラインを定め、自ら離れていくのはイギリスであり、EUはその悪影響についてはイギリスが負うべきであり、離脱にかかわる財政負担もきっちりと負ってもらうという姿勢を明確にした。

プロフィール

森井裕一

東京大学大学院総合文化研究科教授。群馬県生まれ。琉球大学講師、筑波大学講師などを経て2000年に東京大学大学院総合文化研究科助教授、2007年准教授。2015年から教授。専門はドイツ政治、EUの政治、国際政治学。主著に、『現代ドイツの外交と政治』(信山社、2008年)、『ドイツの歴史を知るための50章』(編著、明石書店、2016年)『ヨーロッパの政治経済・入門』(編著、有斐閣、2012年)『地域統合とグローバル秩序-ヨーロッパと日本・アジア』(編著、信山社、2010年)など。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

比大統領「犯罪計画見過ごせず」、当局が脅迫で副大統

ビジネス

トランプ氏、ガス輸出・石油掘削促進 就任直後に発表

ビジネス

トタルエナジーズがアダニとの事業停止、「米捜査知ら

ワールド

ロシア、ウクライナ停戦で次期米政権に期待か ウォル
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:老けない食べ方の科学
特集:老けない食べ方の科学
2024年12月 3日号(11/26発売)

脳と体の若さを保ち、健康寿命を延ばす──最新研究に学ぶ「最強の食事法」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 2
    「ダイエット成功」3つの戦略...「食事内容」ではなく「タイミング」である可能性【最新研究】
  • 3
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたまま飛行機が離陸体勢に...窓から女性が撮影した映像にネット震撼
  • 4
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 5
    寿命が5年延びる「運動量」に研究者が言及...40歳か…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    元幼稚園教諭の女性兵士がロシアの巡航ミサイル「Kh-…
  • 9
    クルスク州のロシア軍司令部をウクライナがミサイル…
  • 10
    「典型的なママ脳だね」 ズボンを穿き忘れたまま外出…
  • 1
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 2
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋トレに変える7つのヒント
  • 3
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 4
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 5
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 6
    日本人はホームレスをどう見ているのか? ルポに対す…
  • 7
    北朝鮮は、ロシアに派遣した兵士の「生還を望んでい…
  • 8
    Netflix「打ち切り病」の闇...効率が命、ファンの熱…
  • 9
    「このまま全員死ぬんだ...」巨大な部品が外されたま…
  • 10
    「ダイエット成功」3つの戦略...「食事内容」ではな…
  • 1
    朝食で老化が早まる可能性...研究者が「超加工食品」に警鐘【最新研究】
  • 2
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参加で「ネットの自由」を得た兵士が見ていた動画とは?
  • 3
    寿命が延びる、3つのシンプルな習慣
  • 4
    「1年後の体力がまったく変わる」日常生活を自然に筋…
  • 5
    外来種の巨大ビルマニシキヘビが、シカを捕食...大き…
  • 6
    朝鮮戦争に従軍のアメリカ人が写した「75年前の韓国…
  • 7
    自分は「純粋な韓国人」と信じていた女性が、DNA検査…
  • 8
    北朝鮮兵が味方のロシア兵に発砲して2人死亡!? ウク…
  • 9
    「会見拒否」で自滅する松本人志を吉本興業が「切り…
  • 10
    足跡が見つかることさえ珍しい...「超希少」だが「大…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story