『ありふれた教室』は徹底的に地味、でもあり得ないほどの完成度だ
ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN
<小銭の窃盗事件から始まり、事態は予想もつかない方向へ――ドイツの中学校が舞台の『ありふれた教室』は最後まで目が離せない>
「地味」を辞書で調べれば、「服装や性格、形や模様などが派手でないこと」「控えめなこと」「質素なこと」などとその意味が集約される。
「派手でないこと」が示すように直接的な定義ではなく、「派手」を否定することで「地味」を定義する。英語も同じらしい。conservative(保守的な)やlow-key(控えめな)という単語はあるにはあるが、unglamorous( 派手ではない)、inconspicuous(目立たない)などの表現が多用されるようだ。要するに、地味という言葉の定義は意外と難しい。
という前提をまず置いてから、今回の映画のレビューを書く。まずは地味な映画だ。著名な俳優はいない。少なくとも僕のレベルで、見覚えのある顔には出会わなかった。さらに、今作が長編4作目で日本初公開となるドイツ人監督のイルケル・チャタクの名前も初めて知った。
人が殺されたり死んだり、撃ったり撃たれたりするシーンはない。だから血しぶきもない。宇宙船や未知のモンスターはもちろん、国際的なテロのシンジケートやスパイも登場しない。当然ながら、CGを多用した派手な爆破シーンやカーチェイスもない。
原題は『Das Lehrerzimmer』。直訳すれば「職員室」だ。邦題は『ありふれた教室』。なるほど。過剰に意味付けする傾向が強い邦題についてはいつも違和感を持つが、今回は正解かも。とにかく徹底して地味な映画だ。
舞台はドイツの中学校。カメラはほぼその敷地から外には出ない。その意味では巨大な密室劇。あるいはグランドホテル方式だ。