コラム

『オッペンハイマー』は原爆投下と共産主義嫌悪というアメリカの2つのタブーを侵犯し、映画的野心に満ちている

2024年04月06日(土)14時20分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<クリストファー・ノーラン監督の話題作は映像と音の質量がすさまじく、僕は180分間圧倒され続けた>

アメリカで同日公開された『バービー』と原爆のキノコ雲を組み合わせたインターネット・ミームが物議を醸し、さらに被爆した広島と長崎の描写がないということで日本公開は延期、あるいは公開できないなどの情報はネットで見聞きしていた。

ミームが不謹慎であることは確かだ。でも、話題になったドラマ『不適切にもほどがある!』を引き合いに出すわけではないが、昭和の時代にプロレスラーの大木金太郎の必殺技であるヘッドバットは「原爆頭突き」と命名されていて、入場時に羽織るガウンには大きなキノコ雲がプリントされていた。カール・ゴッチが必殺技のジャーマン・スープレックス・ホールドを決めた瞬間にアナウンサーが、「原爆固めです!」と絶叫していたことも覚えている。






だからといって正当化するつもりはない。ジェンダー問題やハラスメントも含めてあの時代の「当たり前」が、社会的弱者や少数者に対する想像力が機能していない「間違い」だったことは確かだ。それは大前提ながら、『オッペンハイマー』が日本で公開されないかもしれないとの情報に接したときは、ちょっと待てそれは違う、との意識を持った。

そう思った理由の1つは、オッペンハイマーの生涯を知っていたからだ。原爆を開発したマンハッタン計画の立役者。戦争を終わらせたヒーローとしてアメリカ国民の多くから称賛されながら、戦後に広島・長崎の惨状を知って激しく動揺し、水爆開発に反対して批判され、さらにアカ狩りの時代には共産主義のシンパとして激しく糾弾された。

そのオッペンハイマーをクリストファー・ノーランが描く。国家と個の相克に触れないはずがない。そしてオッペンハイマーが抱え続けた苦悩や挫折は、人類が核兵器を手にすることの矛盾と無関係なはずはない。

だから思う。ロシアのプーチン大統領が核兵器の使用をほのめかしたとき、核抑止論の欺瞞に人類は気付いたはずだ。それなのになぜ日本は今も、核兵器禁止条約に署名すらできないのか。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

米下院、貧困や気候問題の支出削減法案 民主党反対 

ワールド

米FRB議長がコロナ感染、自宅から仕事継続

ビジネス

グローバル株ファンドに資金流入、米利下げ期待受け=

ワールド

米財務長官、ロシア凍結資産活用の前倒し提起へ 来週
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:インドのヒント
特集:インドのヒント
2024年5月21日号(5/14発売)

矛盾だらけの人口超大国インド。読み解くカギはモディ首相の言葉にあり

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた異常」...「極めて重要な発見」とは?

  • 2

    存在するはずのない系外惑星「ハルラ」をめぐる謎、さらに深まる

  • 3

    「円安を憂う声」は早晩消えていく

  • 4

    無名コメディアンによる狂気ドラマ『私のトナカイち…

  • 5

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 6

    EVが売れると自転車が爆発する...EV大国の中国で次々…

  • 7

    中国のホテルで「麻酔」を打たれ、体を「ギプスで固…

  • 8

    他人から非難された...そんな時「釈迦牟尼の出した答…

  • 9

    「香りを嗅ぐだけで血管が若返る」毎朝のコーヒーに…

  • 10

    「EVは自動車保険入れません」...中国EVいよいよヤバ…

  • 1

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する悲劇の動画...ロシア軍内で高まる「ショットガン寄越せ」の声

  • 2

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などできない理由

  • 3

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両を一度に焼き尽くす動画をウクライナ軍が投稿

  • 4

    原因は「若者の困窮」ではない? 急速に進む韓国少…

  • 5

    エジプトのギザ大ピラミッド近郊の地下に「謎めいた…

  • 6

    北米で素数ゼミが1803年以来の同時大発生、騒音もダ…

  • 7

    大阪万博でも「同じ過ち」が繰り返された...「太平洋…

  • 8

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 9

    プーチン5期目はデフォルト前夜?......ロシアの歴史…

  • 10

    地下室の排水口の中に、無数の触手を蠢かせる「謎の…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 3

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なない理由が明らかに

  • 4

    新宿タワマン刺殺、和久井学容疑者に「同情」などで…

  • 5

    やっと撃墜できたドローンが、仲間の兵士に直撃する…

  • 6

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 7

    立ち上る火柱、転がる犠牲者、ロシアの軍用車両10両…

  • 8

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 9

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 10

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story