コラム

ロマンポルノの巨匠が紡ぐ『(秘)色情めす市場』は圧倒的な人間賛歌

2020年10月15日(木)18時50分

ILLUSTRATION BY NATSUCO MOON FOR NEWSWEEK JAPAN

<監督の田中登は絶対に生を否定しない。あいりん地区の季節労働者たちと娼婦の主人公。登場する女や男たちはとにかく生きることに前向きで...>

ニューヨーク・タイムズがベトナム戦争の米機密文書ペンタゴン・ペーパーズを掲載し、連合赤軍が榛名山の山岳ベースで同志たちの殺戮を始めた1971年。日活は業績悪化の打開策として、ロマンポルノ路線に舵を切った。つまり成人映画。この時期に中学生だった僕は、さすがにリアルタイムには観ていない。

でも大学に入って映画研究会に所属してからは、都内の名画座に通い続けて、かなりの数のロマンポルノを観た。ロマンポルノの条件は「10分に1回の濡(ぬ)れ場があること」と「尺は70分前後であること」。それさえ守れば、監督たちは自由に作ることができた。だからこの時期、神代(くましろ)辰巳や曽根中生など既に大御所となっていた監督だけではなく、石井隆や金子修介、崔洋一に周防正行、相米慎二に滝田洋二郎、森田芳光など多くの新鋭(まだまだいる)がロマンポルノに集結した。

印象に残る作品はたくさんあるが、『(秘)色情めす市場』を観たときの衝撃は圧倒的だった。劇場は池袋の文芸坐。例によってオールナイトだったような気がする。夜が明けて白み始めた劇場の外に出て、始発電車が走り始めたばかりの池袋駅に向かいながら、僕は(睡眠不足だけが理由ではなく)真っすぐ歩けないくらいに衝撃を受けていた。

舞台は大阪の釜ヶ崎。いわゆるドヤ街のあいりん地区だ。主人公は娼婦のトメ。明治や大正期じゃないのにトメだ。彼女の母親も娼婦で、名前はよね。トメはよねが路上で産み落とした。

1974年製作なのに画面はモノクロ。実際にあいりん地区のロケなので、一昔前のドキュメンタリーを観ているような気分になる。よねを演じるのは花柳幻舟。日本舞踊の花柳流名取となりながら「家元制度打倒」を訴えて傷害事件を起こし、1990年の天皇即位パレードで爆竹を投げて逮捕された女性だ。とにかくすさまじい生涯。今はどうしているだろうと、この原稿を書くためにネットで検索したら、昨年2月に群馬県で転落死していたと知った。彼女らしい最期だ。享年77。圧倒的に個性的で過激で、そして奇麗な女優だった。

トメを演じるのは、(やはり伝説的な存在の)芹明香。薬でラリっている役をやらせれば日本一うまい。いや「うまい」のレベルではなく、鬼気迫るものがある(本当にラリっているんじゃないかとよく話題になった)。監督は神代辰巳と並びロマンポルノの巨匠と称された田中登。

プロフィール

森達也

映画監督、作家。明治大学特任教授。主な作品にオウム真理教信者のドキュメンタリー映画『A』や『FAKE』『i−新聞記者ドキュメント−』がある。著書も『A3』『死刑』など多数。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ブラックストーン、10─12月手数料収入が過去最高

ビジネス

USスチール、第4四半期決算は減収・赤字 需要環境

ワールド

ロシア、ウクライナの集合住宅にドローン攻撃 9人死

ビジネス

米UPSの25年売上高、アマゾン配送50%超削減で
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ革命
特集:トランプ革命
2025年2月 4日号(1/28発売)

大統領令で前政権の政策を次々覆すトランプの「常識の革命」で世界はこう変わる

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 4
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 5
    東京23区内でも所得格差と学力格差の相関関係は明らか
  • 6
    ピークアウトする中国経済...「借金取り」に転じた「…
  • 7
    空港で「もう一人の自分」が目の前を歩いている? …
  • 8
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 9
    トランプのウクライナ戦争終結案、リーク情報が本当…
  • 10
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 1
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 2
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 3
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果が異なる【最新研究】
  • 4
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
  • 5
    緑茶が「脳の健康」を守る可能性【最新研究】
  • 6
    DeepSeekショックでNVIDIA転落...GPU市場の行方は? …
  • 7
    血まみれで倒れ伏す北朝鮮兵...「9時間に及ぶ激闘」…
  • 8
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のア…
  • 9
    今も続いている中国「一帯一路2.0」に、途上国が失望…
  • 10
    煩雑で高額で遅延だらけのイギリス列車に見切り...鉄…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    有害なティーバッグをどう見分けるか?...研究者のアドバイス【最新研究・続報】
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀…
  • 5
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 9
    中国でインフルエンザ様の未知のウイルス「HMPV」流…
  • 10
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story