コラム

「大竹は宇和島にいるから面白い」──現代アーティスト、大竹伸朗が探究する「日常」と「アート」の境界線

2022年10月31日(月)11時30分

また、1995年から翌年にかけて、大竹は福武書店が発行する月刊文芸誌『海燕(かいえん)』からの依頼で、日本の地方の秘宝館やラブホテル、パチンコ店や街中に乱立する看板といったきわめて卑近な題材を描いた「日本景 / ZYAPAИORAMA」シリーズにも取り組んでいる。シリーズが発表された1995年は福武書店が「よく生きる」の意味をもつラテン語の造語であるベネッセに社名を変え、それを記念してヴェネツィア・ビエンナーレで国際交流基金との共催で展覧会を行うなど、海外展開への大きな一歩を踏み出した年である。グローバル化が進む一方で、ローカルに目を向けること、現代アート界と遠く離れた土地でアートをやることから生まれる発想を大事にすることが、大竹だけでなく、直島でも意識されるようになっていった。

そうしたローカルへの視点は、1998年に始まった「家プロジェクト」の背景にもあった。本プロジェクトで生まれたベネッセアートサイト直島と島民との関係性を踏まえ、過疎化と少子高齢化の問題に直面する離島から、何がスタンダードか、何が幸せなのかを問いかける価値の転換を図ろうとしたのが「スタンダード」展である。本展は、2001年に直島コンテンポラリーアートミュージアム(現・ベネッセハウス ミュージアム)の10周年企画として、ベネッセハウスの建物の中だけでなく宮ノ浦地区、三菱マテリアル地区、本村地区といった島全体の家や施設、路地を舞台に展開された。

この試みは、ある種、お祭りの側面を持つとともに、全国から参加した若者と中高年の島民がボランティアスタッフとして日常運営を担当、交流をもったことから、2010年の瀬戸内国際芸術祭発足の布石にもなった。

大竹は本展で、宮浦港の近くにある、2年前に閉店したばかりの、かつてフェリーの待ち時間に軒先でお酒を飲んだりするところでもあった酒屋・雑貨屋「落合商店」に残されていた雑貨類と自らの絵画や音を組み合わせ、時間の積み重なりそのものを作品とした。

「元からあるものを活かす」という考えは、《シップヤード・ワークス》の3作品でも見られたが、この作品は、そこに既に存在していたものとのコラボレーションであり、店全体を丸ごとその状態のまま展示することで、気配や空気感、音も含めた記憶を立ち上がらせる試みであった。

大竹は、この経験を通して、島での制作は、作家の想い以上に土地の記憶といったものに大きく影響されることを初めて実感したという。また、制作を通して、島の人が「こんなのがあったから使ってくれ」と材料を持ってきてくれるなど、自然に交流が生まれ、続く2006年の「直島スタンダード2」展では、恒久展示の家プロジェクト「はいしゃ」に取り組むことになる。その年、大竹は東京都現代美術館での初の大回顧展を控えており、オープンまで半年も時間がない時期に、初めて場所を見に訪れ、大個展の準備と並行してやるのは無理と断った後、帰りの電車内で構想が浮かび、一か八でやることにしたらしい。

miki202210ohtake-2-2.jpg

家プロジェクト「はいしゃ」 大竹伸朗《舌上夢/ボッコン覗》2007年(写真:鈴木研一)

プロフィール

三木あき子

キュレーター、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター。パリのパレ・ド・トーキョーのチーフ/シニア・キュレーターやヨコハマトリエンナーレのコ・ディレクターなどを歴任。90年代より、ロンドンのバービカンアートギャラリー、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館など国内外の主要美術館で、荒木経惟や村上隆、杉本博司ら日本を代表するアーティストの大規模な個展など多くの企画を手掛ける。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

ECB預金金利、夏までに2%へ引き下げも=仏中銀総

ビジネス

米石油・ガス掘削リグ稼働数、6月以来の高水準=ベー

ワールド

ローマ教皇の容体悪化、バチカン「危機的」と発表

ワールド

アングル:カナダ総選挙が接戦の構図に一変、トランプ
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:ウクライナが停戦する日
特集:ウクライナが停戦する日
2025年2月25日号(2/18発売)

ゼレンスキーとプーチンがトランプの圧力で妥協? 20万人以上が死んだ戦争が終わる条件は

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 3
    メーガン妃が「アイデンティティ危機」に直面...「必死すぎる」「迷走中」
  • 4
    深夜の防犯カメラ写真に「幽霊の姿が!」と話題に...…
  • 5
    1888年の未解決事件、ついに終焉か? 「切り裂きジャ…
  • 6
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 7
    ソ連時代の「勝利の旗」掲げるロシア軍車両を次々爆…
  • 8
    トランプが「マスクに主役を奪われて怒っている」...…
  • 9
    私に「家」をくれたのは、この茶トラ猫でした
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」だった?...高濃度で含まれる「食べ物」に注意【最新研究】
  • 2
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される【最新研究】
  • 3
    人気も販売台数も凋落...クールなEVテスラ「オワコン化」の理由
  • 4
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 5
    動かないのに筋力アップ? 88歳医大名誉教授が語る「…
  • 6
    朝1杯の「バターコーヒー」が老化を遅らせる...細胞…
  • 7
    7年後に迫る「小惑星の衝突を防げ」、中国が「地球防…
  • 8
    ビタミンB1で疲労回復!疲れに効く3つの野菜&腸活に…
  • 9
    「トランプ相互関税」の範囲が広すぎて滅茶苦茶...VA…
  • 10
    飛行中の航空機が空中で発火、大炎上...米テキサスの…
  • 1
    週刊文春は「訂正」を出す必要などなかった
  • 2
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 3
    【一発アウト】税務署が「怪しい!」と思う通帳とは?
  • 4
    口から入ったマイクロプラスチックの行く先は「脳」…
  • 5
    「健康寿命」を延ばすのは「少食」と「皮下脂肪」だ…
  • 6
    1日大さじ1杯でOK!「細胞の老化」や「体重の増加」…
  • 7
    がん細胞が正常に戻る「分子スイッチ」が発見される…
  • 8
    戦場に「北朝鮮兵はもういない」とロシア国営テレビ.…
  • 9
    世界初の研究:コーヒーは「飲む時間帯」で健康効果…
  • 10
    「DeepSeekショック」の株価大暴落が回避された理由
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story