コラム

李禹煥は、どのように現代アーティスト李禹煥となったか

2022年10月24日(月)11時25分

韓国の山奥から釜山(プサン)、そしてソウルへ

李禹煥は1936年、韓半島東南部の慶尚南道(キョンサンナムド)の山奥で漢方薬を扱うこともあった旧家に生まれている。儒教的な制度やシャーマニズム、仏教が浸透した山間の僻地ながら、彼の祖父は、田舎から出て、どんどん広い世界に行かなくてはいけないと常々言っていたという。

新聞記者として各地を飛び回る父親の背中を見ながら、古典文学に造詣の深い母親が日々歌うように本を読む声を聴いて育った李少年は、やがて彼の家を頻繁に訪れていた文人から、詩や漢文、書などを習うようになる。

本人も「歩みを振り返ってみると、幼い頃の体験が尾を引いていて、それを煮たり焼いたり煎じたりして飲んでいる感じ」と話すように、こうした家庭環境や文人教育を通して筆の使い方を習い、森羅万象の基本として点を打ち、線を繰り返し引く訓練を受けたことが李の創造行為の核となっている。

その後進んだ街の小学校では、日本統治下で日本語教育が行われていた。学校では日本語、家では朝鮮語を使わなければならず、頭が混乱するような状態を経験するが、1945年、入学してから1年半ほどで第二次世界大戦が終わり、日本は敗戦する。

その後、都会の釜山の中学に入ると、今度は半年も経たないうちに朝鮮戦争が勃発。戦争により南部に避難してきた共学のソウル大学付属高校の仮校舎を、山に植物採集に行った帰りに偶然見かけ興味を持った李は、同校に進学。ところが、高校1年のときに戦線が変わり、学校が釜山からソウルに戻るのにあわせて自身もソウルへと移ることになる......。

こうして、戦争の影響や教育熱心な祖父、父の教え、母親譲りの文学への関心から生まれた外への憧れに数々の偶然が重なり、李は山奥の小さな集落から街、そして首都ソウルへと移動していったのである。

海を越えて日本へ、文学から現代アートへ

高校時代は特に文学にのめり込んでいた李は美術に興味があるわけではなかったが、教師に「美術なら文学と関係があるから」と説得され、ソウル大学校美術大学に入学する。しかし、入学して間もなく、日本に住む叔父の体調が悪いので漢方薬を届けるように父親に頼まれ、当時は国交がなかったため密航船に乗って日本へ。ところが、来てみると叔父に帰国を引き止められ、そのまま日本に居続けることになる。

日本語が出来なかった李は、外国人への日本語教育を行う拓殖大学で日本語を学び、開設されたばかりの日本大学文学部哲学科へ編入。その際も、積極的に美術をやろうと思ったわけではなく、美学を身に付け、社会思想に触れておけば文学の方向に進むのに役立つと思っただけのようだ。

プロフィール

三木あき子

キュレーター、ベネッセアートサイト直島インターナショナルアーティスティックディレクター。パリのパレ・ド・トーキョーのチーフ/シニア・キュレーターやヨコハマトリエンナーレのコ・ディレクターなどを歴任。90年代より、ロンドンのバービカンアートギャラリー、台北市立美術館、ソウル国立現代美術館、森美術館、横浜美術館、京都市京セラ美術館など国内外の主要美術館で、荒木経惟や村上隆、杉本博司ら日本を代表するアーティストの大規模な個展など多くの企画を手掛ける。

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