コラム

岸田首相のサプライズ退陣表明がサプライズでない理由

2024年08月14日(水)19時32分
岸田

自民党総裁選への不出馬を表明した岸田首相 PHILIP FONGーPoolーREUTERS

<岸田首相が自民党総裁選への不出馬を表明した。首相としての実質的な退陣表明でもある。「サプライズ」が得意だった首相の最後のサプライズに見えるが、裏には冷徹な計算も垣間見える。そして、現時点で最も有利なのは誰か>

岸田文雄首相が14日昼前に記者会見を開き、来る9月の自民党総裁選に立候補しないことを表明した。お盆真最中というタイミングでの実質的な退陣表明に衝撃が走っている。これを機に日本政治はこの夏、大きく動き出すだろう。

「現役首相が総裁選に立候補して敗北したら政治生命が実質的に終わりかねない。影響力を残すために、出馬を直前に回避する」といった見立ては永田町では根強かった。その意味では今回の不出馬表明自体はサプライズとまでは言えない。

それに対して、最近になって流布されていたのは「岸田首相再選説」だ。8月に入っても衆目の一致するような有力立候補者が現れていない以上、現役の首相が立候補すれば、いわば現状追認で再選される可能性が高まっているというものだった。

しかし、有力候補がいないという消極的理由で総裁再選を認めるような余裕が今の自民党にあるとは言えない。パーティー券裏金問題等の「腐敗」に対して国民は厳しい視線を向けており、新しい「選挙の顔」を立てることは自民党にとって喫緊の課題だった。

他方で、現役首相の総裁選敗北といえば、1978年(昭和53年)の総裁選で福田赳夫首相が大平正芳候補に敗北した例があるが、これは予備選での敗北だ。福田首相は本選を自ら辞退した後、大平政権下で非主流派として熾烈な権力闘争を仕掛けていった。「総裁選での敗北=政治生命の終結」になるとは限らない。

要は、権力闘争をどう戦い続けるかという「政治家の意志」が問題なのであり、それゆえ今回の突然の不出馬表明に「再選される見込みがなく、追い込まれての出馬辞退」という側面があるとしても、サプライズに見える決断を得意としてきた岸田首相ならではの「権力闘争の仕掛け」があると見る視点も必要だろう。

岸田首相が権力をつかんだ出発点は2021年8月26日の総裁選出馬表明だ。その後、パーティー券裏金問題をめぐる2023年12月の清和会(旧安倍派)政権幹部の一斉更迭や、派閥批判の高まりを受けた2024年1月の宏池会(岸田派)解散表明を含めて、岸田首相は要所要所でサプライズに見える決断を下してきた。いずれも共通するのは意外にも「権力闘争の仕掛け」という側面なのだ。

2021年10月に発足し、高支持率を誇っていた当初の岸田政権は、麻生太郎副総裁と茂木敏充幹事長による「三頭政治」によって支えられていた。その後、パーティー券裏金問題での派閥解消等を巡っていったんは相互の信頼関係が瓦解したようにも見えたが、三者三様の手詰まり感も見えていた。

例えば麻生副総裁がキングメーカーとして采配を振るうには、上川陽子外相や河野太郎デジタル相は「手持ちカード」として盤石とまでは言えず、好みが分かれることは否めない。茂木幹事長にしても有力総裁候補と目されながらも、自らの派閥(平成研)から小渕優子選挙対策委員長や石井準一参議院国会対策委員長ら参院幹部が離脱し、岸田政権中枢の幹事長でありながら総裁選出馬を表明すると「令和の明智光秀」批判を浴びるおそれもある。岸田首相にしても安倍派パージに成功したものの報復でいつ寝首をかかれてもおかしくない。

他方で、2021年夏に総裁選出馬断念に追い込まれた菅義偉前首相や武田良太元総務相ら非主流派の動きも顕著になってきた。自民党内の権力闘争が激化していく状況にあって、岸田首相が大方の予想を裏切るタイミングで不出馬を表明した。そこに、いわば先手必勝でイニシアチブを取ろうとする狙いがあったとしても不思議ではない。小林鷹之前経済安保相(通称コバホーク)等の若手政治家への期待も沸き起こっているが、新生自民党の看板にはなるとしても、性急な世代交代は長老には都合が悪い。そうした世代間の権力闘争についても、差配と調整を担うイニシアチブが重要だという計算もあったであろう。

プロフィール

北島 純

社会構想⼤学院⼤学教授
東京⼤学法学部卒業、九州大学大学院法務学府修了。駐日デンマーク大使館上席戦略担当官を経て、現在、経済社会システム総合研究所(IESS)客員研究主幹及び経営倫理実践研究センター(BERC)主任研究員を兼務。専門は政治過程論、コンプライアンス、情報戦略。最近の論考に「伝統文化の「盗用」と文化デューデリジェンス ―広告をはじめとする表現活動において「文化の盗用」非難が惹起される蓋然性を事前精査する基準定立の試み―」(社会構想研究第4巻1号、2022)等がある。
Twitter: @kitajimajun

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

英小売売上高、2月は前月比+1.0 非食品好調で予

ビジネス

ユーロ圏インフレ率、貿易戦争巡る懸念でも目標達成へ

ワールド

タイ証取、ミャンマー地震で午後の取引停止 31日に

ワールド

ロシア、ウクライナがスジャのガス施設を「事実上破壊
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影された「謎の影」にSNS騒然...気になる正体は?
  • 2
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中国・河南省で見つかった「異常な」埋葬文化
  • 3
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジェールからも追放される中国人
  • 4
    地中海は昔、海ではなかった...広大な塩原を「海」に…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    なぜANAは、手荷物カウンターの待ち時間を最大50分か…
  • 7
    不屈のウクライナ、失ったクルスクの代わりにベルゴ…
  • 8
    「完全に破壊した」ウクライナ軍参謀本部、戦闘機で…
  • 9
    【クイズ】アメリカで「ネズミが大量発生している」…
  • 10
    「マンモスの毛」を持つマウスを見よ!絶滅種復活は…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 3
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 4
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 5
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 8
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 9
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 10
    大谷登場でざわつく報道陣...山本由伸の会見で大谷翔…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」ワケ
  • 3
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 4
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story