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「安倍元首相国葬」こそが分断を乗り越える出発点
安倍元首相の国葬で一般献花会場の列に並ぶ人たち(9月27日)Issei Kato-REUTERS
<安倍晋三元首相の国葬は日本国民の間で大きく賛否が分かれた。しかし同時に、今回の「国民的共通経験」を基盤に、今後どのような形で国民の弔意を表すのが良いのかという議論の出発点も得た>
安倍晋三元首相の国葬儀が9月27日午後2時から日本武道館で行われた。そのすぐ近くにある九段坂公園では、一般向けの献花台が設けられ、多くの人々が献花に訪れた。
私も午前10時過ぎから千代田区隼町の国立劇場手前近くまで伸びようとする長蛇の列に加わった。周りの人々の半分ぐらいは喪服や黒ネクタイ姿で、今朝新幹線で着いたと話す人々や、大使館関係者だろうか外国人の集団も見受けられた。
今回の国葬は1967年の吉田茂国葬以来55年ぶりである。「国葬令(1947年失効)に代わる実体的な根拠法がなく、安倍元首相の業績評価も定まらぬ中で国会審議を経ずに閣議決定され、高額費用が予備費から支出されること」などに批判が相次いだ。直近のNHK世論調査では、国葬を「評価する」が32%、「評価しない」が57%だった。
ところが蓋を開けてみれば、数え切れないくらい多くの人々が一般献花の列に並んでいた。「動員」とは無縁の自発的弔意だ。九段坂公園の献花台に着いたのは正午前だったが、そこは少しばかり雑然としていた。しかし、献花しようとする人々は一顧だにしないで整然と並び、弔花を手向けていた。涙を流していた人も目についた。元首相の死を真摯に弔う国民の姿がそこにあった。
日本武道館での国葬には海外から、アメリカのハリス副大統領、オーストラリアのアルバニージー首相、インドのモディ首相等が参列した。安倍元首相が提唱したFOIP(自由で開かれたインド太平洋構想)を具現化するQUAD(日米豪印戦略対話)の当事者たちだ。わが国と包括的経済連携協定(EPA)と戦略的パートナーシップ協定(SPA)を結んだ英国からは、メイ元首相が参列した。
これらの国の共通点は「国葬」(state funeral)という制度を持ち運用していることだ。例えば米国はジョージ・H・W・ブッシュ(父ブッシュ)元大統領(2018年)、オーストラリアはAPECを提唱したボブ・ホーク元首相(2019年)、インドはインディラ・ガンジー首相(1984年暗殺)、英国はウィンストン・チャーチル元首相(1965年)の死を国葬という形で悼んでいる。王室の有無等の点で違いはあるが、一つの時代を代表するような顕著な役割を果たした政治家に対して「国」として哀悼の意を表明し、「国民」が死を弔う。
今回の国葬決定プロセスは、吉田茂国葬時に佐藤栄作首相が心を砕いたような「野党の合意」を獲得する国対政治が実質的に不在であり、「独断専行の閣議決定だけで実施を決定した」という拙速感を国民の多くが感じたことは否めない(この独断的拙速感は今後の憲法改正論議において岸田政権の足を引っ張る可能性がある)。「何のために国葬を行うのか」「安倍元首相が時代の何を代表し象徴しているのか」という基本的な点について、臨時国会などで議論を尽くして国民的な共通理解を得る努力は、残念ながら充分とは言えなかった。
国民の間にある弔意は様々であり、その上で、どのようにして国民の弔意を包摂して具体化するのかという議論を行うこと自体が重要だ。「国葬」という形にするのか、「内閣葬」(実際には与党との合同葬)にとどめるのか、その意味合いは異なる。「国」として葬儀を行うことと、時の政権(=内閣)・与党が葬儀を行うということは、規模の大小や費用負担の問題というより、その政治的包摂性の含意が異なる。
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