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「ミスター危機管理」はなぜ自らの政治危機を回避できなかったのか
「パンケーキ」「ガースー」......広報戦略の不在
もちろん菅氏の戦略眼からすれば、福田赳夫以来となる「現職総理が総裁選で敗北する」という事態や、総裁選に勝ったとしても総選挙で自民党が過半数割れを起こして引責辞任に追い込まれるという事態を避けて、総裁選から身を引く「英断」を見せる方が将来への影響力を残せるという計算もあろう。ワクチン接種は進展してはいるものの、コロナ変異株の感染拡大が来年夏の参議院選挙までに収束しているという保証はない。ここで自分が、二階幹事長らと一蓮托生となって身を引いてこそ、「うねり」を自民党に戻す方策になるのだという判断がこの5日間で徐々にかつ確実に形成されたことが、菅氏の退陣表明に至る背景にあるように見える。
これらの事情に鑑みると、2日夜から3日朝にかけて何らかの外部的事情が生じたことが退任決意の直接的な原因というよりも、「5日間政局」の過程で菅氏の内的心理状態が揺れ動き、気力減衰の限界と将来の見立てが一致したタイミングの帰結として、総務会での人事一任取り付けが不透明になる中で最終的に不出馬を決断したと考えることができる。
菅政権は発足以来、デジタル庁の設置、2050年までに温室効果ガスの排出量を実質ゼロにするグリーン成長戦略の策定、携帯電話料金引き下げなどの実績を残した。これに対して、米バイデン政権やEUと協調して中国とどう向き合うか、FOIP(自由で開かれたインド太平洋構想)をどう展開するか、ミャンマーやアフガニスタンなどに関わる外政で日本の本領をどう発揮するかといった外交上の課題は道半ばで終わった。改革路線への期待もあったが、総務省接待事件など「政治とカネ」を巡るコンプライアンス問題も噴出し、課題は積み残されたままだ。
しかし、何よりもコロナ禍という未曽有の災難に対処する「危機管理型内閣への期待」に応えられなかったのが最大の痛手であった。菅政権の1年は結局のところ「危機管理のプロが新型コロナに翻弄された」ということに尽きる。菅首相は「首相兼官房長官」とも称される意思決定スタイルを貫き、補佐官など一部の限られた官邸側近を重用したが、トップダウン式で対処するにはコロナ禍は大きすぎる災難だったのか、それとも「日本型ロックダウン」導入を巡る議論の迷走が示すように、そもそも戦後日本が有事に対応できる法体系を導入できておらず、誰であっても出来ることに限界があったのか、その評価は分かれる。
菅政権に対する批判で共通して言われているのは「広報戦略の不在」である。確かに「パンケーキ」に始まり、鬼滅の刃の「全集中」や「ガースーです」発言など、「庶民派宰相」のイメージを押し出して国民に親しみを覚えてもらおうとする仕掛けは随所に見られた。しかし必ずしもうまく行ったとは言えず、特に政権末期にはほとんど聞かれなかった。小泉純一郎元首相のオペラ鑑賞や安倍前首相のテレビ出演に見られるソフトパワーの活用はなされず、他方で、郵政民営化における「抵抗勢力」や、「韓国」や「サヨク」を仮想敵に仕立て国民の熱狂を煽り、カタルシスを与えることで岩盤支持層を形成し維持する策も取られなかった。それはコロナ禍という現実そのものが社会の敵として屹立しており、その対処が最優先されたからでもあろう。贈収賄事件など多発した不祥事について説明責任を果たす姿勢も充分ではなかった。
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