コラム

「ミスター危機管理」はなぜ自らの政治危機を回避できなかったのか

2021年09月06日(月)06時30分

総裁選への不出馬表明後、IPCのパーソンズ会長との会談に向かう菅首相(9月3日)REUTERS-Behrouz Mehri/Pool

<「危機管理型内閣」を率いていた菅首相が自らの政治的危機を回避できなかったのは、安倍前首相と麻生副首相、そして二階幹事長との関係維持にエネルギーを割く「重鎮政治」に翻弄されたのが大きな理由。無派閥政治家ゆえの悲哀だが、来たる自民党総裁選で、派閥は結果を左右しないかもしれない>

菅義偉首相は9月3日、「新型コロナ対策に専任する」として自民党総裁選に出馬しないことを党役員会で表明。突然の「退陣表明」に衝撃が走った。新型コロナ感染拡大と支持率低下という逆風下での「苦渋の決断」か、「追い込まれた末の投げ出し」か。昨年夏の安倍首相退陣を受けて発足した菅政権は、暫定政権としての性格を払拭することなく、わずか1年で終焉を迎えることになる。

菅政権はそもそもコロナ禍の中で誕生した危機管理型内閣だった。ワクチン接種を進めながら「人類が新型コロナウイルスに打ち勝った証」として東京五輪を成功させ、その勢いで総選挙に勝利し総裁選で無投票再選を果たすのが、政権維持の基本戦略だと考えられてきた。しかし感染が拡大する中で、ワクチン接種の遅れ、人流制限、五輪の無観客開催、経済的補償等に対する国民の不満が蓄積し、政権支持率は3割前後まで低下。8月22日の横浜市長選挙では、菅首相が支援した小此木八郎前防災相が約18万票差の大敗を喫した。菅首相自身の選挙区である神奈川2区を構成する横浜市西区・南区・港南区でも小此木氏が7ポイントから11ポイント差で敗北しており、10月21日に任期満了を迎える衆議院の若手議員を中心に首相交代を求める声が党内で強まっていた。

事態が動いたのは8月30日だ。この日、菅首相は官邸で二階俊博幹事長と会談し、そこで「幹事長交代の合意」がなされたと報じられた。二階幹事長は5年を超える在任期間を誇る党内最大の実力者で、誰もその首に鈴をかけられない状態が続いていた。岸田文雄前政調会長が26日の総裁選出馬会見で「権力の集中と惰性を防ぐために、党役員の任期を最長3年に制限する」という改革案を提示し驚きをもって受け止められたのは、それが二階幹事長を念頭に置くことが明白だったからだ。二階幹事長を含む党執行部の刷新案が現職の総裁・幹事長サイドから出てきたことは、対立候補である岸田氏の機先を制し改革案を色褪せたものにするに充分だった。同じ30日に菅首相は下村博文政調会長とも会談。総裁選に出馬するなら政調会長を辞任するように求めたと伝えられており、下村氏は出馬見送り表明を余儀なくされた。これらは懸案事項を一つ一つ潰すという菅流の危機管理術がいかんなく発揮されたものだったと言える。

しかし、その翌日に事態は急展開する。菅首相が31日夜に赤坂の議員宿舎で再び二階幹事長と会談した直後、「首相は9月中旬に衆議院を解散し10月17日に投開票。総裁選は総選挙後に先送りする」とするスクープ報道が駆け巡った。党役員人事刷新と結びついた解散説の衝撃は大きく、「9月17日告示、9月29日投開票」と決まったはずの総裁選日程が解散によって先送りされるのは「菅政権延命のための計略ではないか」という疑念が党内から噴出。菅首相は9月1日には「最優先は新型コロナ対策であり、解散できる状況ではない」と弁明し報道を打ち消す事態となった。早期解散・総裁選先送りは菅首相にとってあくまでも選択肢の一つに過ぎなかった可能性が高い。しかし、その意向が「漏れて」ことさらに大きく報じられたことによる二転三転劇を、「総理の解散権が封じられた」と見なす向きもあり、菅首相の求心力が大きく損なわれる結果となった。

2日夕方に菅首相は党本部で二階幹事長と10分程度面談をし、そこで総裁選に立候補する意向を伝え、二階幹事長は菅氏を支援する考えを伝えたと報じられている。役員人事は、3日午前11時30分からの臨時役員会およびその後の総務会で人事一任手続きがなされ、週末の最終調整を経て、週明け6日には内閣改造とあわせて実施される予定だった。

プロフィール

北島 純

社会構想⼤学院⼤学教授
東京⼤学法学部卒業、九州大学大学院法務学府修了。駐日デンマーク大使館上席戦略担当官を経て、現在、経済社会システム総合研究所(IESS)客員研究主幹及び経営倫理実践研究センター(BERC)主任研究員を兼務。専門は政治過程論、コンプライアンス、情報戦略。最近の論考に「伝統文化の「盗用」と文化デューデリジェンス ―広告をはじめとする表現活動において「文化の盗用」非難が惹起される蓋然性を事前精査する基準定立の試み―」(社会構想研究第4巻1号、2022)等がある。
Twitter: @kitajimajun

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正

ワールド

イスラエル政府、ガザ停戦合意を正式承認 19日発効

ビジネス

米国株式市場=反発、トランプ氏就任控え 半導体株が

ワールド

ロシア・イラン大統領、戦略条約締結 20年協定で防
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲うウクライナの猛攻シーン 「ATACMSを使用」と情報筋
  • 4
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 5
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 6
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者…
  • 7
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 8
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさ…
  • 9
    「ウクライナに残りたい...」捕虜となった北朝鮮兵が…
  • 10
    雪の中、服を脱ぎ捨て、丸見えに...ブラジルの歌姫、…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 5
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 8
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    大麻は脳にどのような影響を及ぼすのか...? 高濃度の…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    ロシア軍は戦死した北朝鮮兵の「顔を焼いている」──…
  • 7
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 8
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 9
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 10
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story