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日本に逃れたウクライナ人の声 「PCR検査は自己負担」「日本円がなければどうなったか」
ロシアのウクライナ侵攻を非難するデモ(東京、3月5日) Kim Kyung-Hoon-REUTERS
<ロシアのウクライナ侵攻後、日本に避難した人は200人を超えるが、国際社会の一員として日本政府は彼らが求めていることに耳を傾けるべきだ>
[ロンドン発]キエフ在住の年金生活者ウォロディミル・コーバルさん(64)とロシア出身の妻オルハさん(59)は日本で暮らす娘のオレナさん(40)を頼りに戦火のウクライナを逃れて日本にやって来た。2人は3月8日にキエフから列車に飛び乗った。
「私たちの席は一つしかなく、ポーランドまで計24時間交代して座りました。混み合う車内ではどこからどこへ向かうかを尋ね合う程度でみな言葉少なでした。戦火が迫り、やむなく祖国を後にせざるを得ない事情は聞かなくても分かったからです」
2月24日午前4時ごろ、ウォロディミルさんの自宅からも爆撃音が2回立て続けに聞こえた。しかし本当にロシア軍が攻めて来るとは信じられなかった。キエフ北西のホストメリには空港があるためロシア軍の空輸拠点に選ばれ、集中攻撃が行われた。
ホストメリで暮らす親戚宅では砲撃や爆撃の音が絶えず、完全に破壊された。親戚家族は3週間にわたってロシア軍に拘束されたあと、ベラルーシで解放され、ポーランド経由でエストニアに逃れた。しかし今は、連絡は途絶えている。
すべての橋は破壊された
キエフはウクライナ軍や領土防衛隊によってがっちり守られている。ロシア軍の侵攻を防ぐため、すべての橋はウクライナ軍によって破壊された。
2人がキエフを脱出する当日まで電気や水道は使用でき、近所の食料品店も営業していた。銀行のキャッシュカードやクレジットも使えた。ボランティアがいろいろ助けてくれた。
「でもキエフに近いホストメリやイルピンが陥落し、危険が迫ってきました。逃げ出せるうちに出発しようと3月7日に脱出を決めました」と2人は振り返る。
「昨年からロシア軍がウクライナ国境に展開しているというニュースは知っていました。しかしウラジーミル・プーチン露大統領は演習だと言い続けていました。これはウクライナへの脅しであり、私たちや欧州の人々を思い通りに操ろうとしていると思いました」
「私たちはプーチン氏が本当に軍事侵攻に踏み切るとは思ってもいませんでした。他にも解決策を見つける道はいくつもあるのに、最後の最後の瞬間までプーチン氏がここまで狂っているとは考えもしませんでした」と2人は呆れたように語る。