コラム

日立車両の亀裂問題とイギリスの「国鉄復活」

2021年05月23日(日)21時47分

同紙によると、労働党政権も保守党・自由民主党の連立政権も列車リース会社に貪られていると不満を抱いていた。IEPでは契約金額が大きいこともあり、新型車両を製造する日立が主導する特別目的会社アジリティ・トレインズが列車を保有し、各運行会社にリースする官民連携(PPP)スキームが導入された。日立にしてみれば車両製造にとどまらず、約30年にわたる車両リースと27年半にわたる保守事業も一括して受注するビジネスモデルだった。

210523IEP.jpeg

日立のニュートン・エイクリフ工場が開設した時、保守党のデービッド・キャメロン首相は「日立の巨額投資はイギリスの経済成長の強さを示している。新しい施設は雇用を生み出すだけでなく、次世代の都市間高速鉄道の車両を製造し、通勤者や家族の移動を改善する」と胸を張った。クリス・グレイリング運輸相は800系がデビューした際、遅延や空調の水漏れにもかかわらず「わが国で最もスマートで史上最高の車両」と称賛を惜しまなかった。

しかしイギリスのある鉄道評論家は「インターシティー125、225は1車両当たりの1カ月コストは1万8320ポンド(約282万3740円)だったのに比べ、800系の"AZUMA(あずま)"は3万2890ポンド(約506万9480円)だ」との厳しい見方をデーリー・テレグラフ紙に示している。「AZUMA」はロンドンとスコットランドを4時間半で結ぶロンドン・ノース・イースタン鉄道(LNER)の800系の愛称だ。

英政府は今回の亀裂で生じた損失を納税者が負担することがないようアジリティ・トレインズに補償を求めた。利益より安全が優先される鉄道事業は車両の保守や保線にかける労力やコストを惜しんではならない。しかしコロナ危機で乗客が激減している列車運行会社も、コロナ対策や経済対策で財政支出が膨らむ政府もアップアップしている。自分で蒔いた種は自分で刈り取ってもらうしかないというわけだ。

コロナ危機と分割・民営化路線の大転換

5月20日、グラント・シャップス運輸相は国営企業グレート・ブリティッシュ・レールウェイズ(GBR)を新設し、国鉄民営化によって過度に分割され複雑化したシステムを一つにまとめる改革案を発表した。列車の運行は引き続き民間企業が担当するもののフランチャイズ方式ではなく、GBRが鉄道網や駅などのインフラのほか鉄道事業の契約、運行計画や運賃の設定、発券などのサービスを一元管理する。

イギリスの国鉄は1994年以降の改革で運行とインフラを二分する上下分離方式で運営されるようになり、「上(運行)」の旅客輸送は25の列車運行会社に分割・民営化された。「下(インフラ)」の鉄道網や駅を提供しているのがネットワーク・レール社。車両はリース会社が運行会社に貸し出す仕組みだ。上下分離で同じ路線で運行する複数社が競争することで運賃は下がり、サービスが向上するはずだったが、現実は理想通りには行かなかった。

事業を細分化し過ぎた結果、設備投資と保守管理が不十分となり、2000年には老朽化したレールが破断、4人が死亡し、70人以上が負傷するというハットフィールド脱線事故の大惨事が起きている。

プロフィール

木村正人

在ロンドン国際ジャーナリスト
元産経新聞ロンドン支局長。憲法改正(元慶応大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『欧州 絶望の現場を歩く―広がるBrexitの衝撃』(ウェッジ)、『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)。
masakimu50@gmail.com
twitter.com/masakimu41

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ビジネス

PIMCO、金融緩和効果期待できる米国外の先進国債

ワールド

AUKUSと日本の協力求める法案、米上院で超党派議

ビジネス

米国株式市場=ダウ6連騰、S&Pは横ばい 長期金利

ビジネス

エアビー、第1四半期は増収増益 見通し期待外れで株
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:岸田のホンネ
特集:岸田のホンネ
2024年5月14日号(5/ 8発売)

金正恩会談、台湾有事、円安・インフレの出口......岸田首相がニューズウィーク単独取材で語った「次の日本」

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    「自然は残酷だ...」動物園でクマがカモの親子を捕食...止めようと叫ぶ子どもたち

  • 3

    習近平が5年ぶり欧州訪問も「地政学的な緊張」は増すばかり

  • 4

    いま買うべきは日本株か、アメリカ株か? 4つの「グ…

  • 5

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国…

  • 6

    日本の10代は「スマホだけ」しか使いこなせない

  • 7

    迫り来る「巨大竜巻」から逃げる家族が奇跡的に救出…

  • 8

    イギリスの不法入国者「ルワンダ強制移送計画」に非…

  • 9

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受…

  • 10

    ケイティ・ペリーの「尻がまる見え」ドレスに批判殺…

  • 1

    ヨルダン・ラジワ皇太子妃のマタニティ姿「デニム生地ジャンプスーツ」が話題に

  • 2

    ロシア兵がウクライナ「ATACMS」ミサイルの直撃を受ける瞬間の映像...クラスター弾炸裂で「逃げ場なし」の恐怖

  • 3

    常圧で、種結晶を使わず、短時間で作りだせる...韓国の研究チームが開発した「第3のダイヤモンド合成法」の意義とは?

  • 4

    屋外に集合したロシア兵たちを「狙い撃ち」...HIMARS…

  • 5

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミ…

  • 6

    外国人労働者がいないと経済が回らないのだが......…

  • 7

    「500万ドルの最新鋭レーダー」を爆破...劇的瞬間を…

  • 8

    「2枚の衛星画像」が伝える、ドローン攻撃を受けたロ…

  • 9

    サプリ常用は要注意、健康的な睡眠を助ける「就寝前…

  • 10

    ウクライナ軍ブラッドレー歩兵戦闘車の強力な射撃を…

  • 1

    ロシア「BUK-M1」が1発も撃てずに吹き飛ぶ瞬間...ミサイル発射寸前の「砲撃成功」動画をウクライナが公開

  • 2

    韓国で「イエス・ジャパン」ブームが起きている

  • 3

    「おやつの代わりにナッツ」でむしろ太る...医学博士が教えるスナック菓子を控えるよりも美容と健康に大事なこと

  • 4

    最強生物クマムシが、大量の放射線を浴びても死なな…

  • 5

    世界3位の経済大国にはなれない?インドが「過大評価…

  • 6

    一瞬の閃光と爆音...ウクライナ戦闘機、ロシア軍ドロ…

  • 7

    タトゥーだけではなかった...バイキングが行っていた…

  • 8

    NASAが月面を横切るUFOのような写真を公開、その正体…

  • 9

    「世界中の全機が要注意」...ボーイング内部告発者の…

  • 10

    「燃料気化爆弾」搭載ドローンがロシア軍拠点に突入…

日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story