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ロシアのプーチン大統領再選と元二重スパイ暗殺未遂の相関関係を読み解く
ソールズベリーの墓地で除染作業に当たる係官(筆者撮影)
[ロンドン発]英南西部ソールズベリーで元ロシア二重スパイのセルゲイ・スクリパリ氏(66)と娘のユリアさん(33)が兵器級の神経剤ノビチョクで意識不明の重体になり、ロシアの大統領選ではウラジーミル・プーチン大統領(65)が得票率77%という圧倒的な強さを見せて再選を果たした。
2000年の初当選から通算4期、首相時代を含めると24年に及ぶ超長期政権となる。憲法改正で大統領任期は6年に延長されたが、連続2期と制限されたため、次の6年でプーチン大統領の時代は幕を閉じるはずだ。当選が決まった後、プーチン大統領は「数えて見給え。100歳になるまで私が大統領のイスに座っているとでも思うのか」と報道陣の質問に答えた。
事件前のセルゲイ・スクリパリ氏。ノビチョクによる攻撃で意識不明の重体になっている(自宅近くの食料品店提供)
ノビチョクによる暗殺未遂事件で、テリーザ・メイ英首相は「ロシア政府が事件に直接関与したか、それとも国家施設から流出したノビチョクが使われたかのいずれかしか考えられない」と即座に駐英露外交官23人を国外追放した。英米仏独首脳も共同声明で「欧州で神経剤が攻撃に使われたのは第二次大戦後初めて」とプーチン大統領を非難した。
化学兵器の開発・生産・貯蔵・使用は化学兵器禁止条約で禁じられており、ロシアも批准している。それにしても、どうして大統領選の2週間前という微妙なタイミングで元二重スパイ暗殺未遂が起きたのか。
ロシアにとってイギリスは怖くない
元ロシア連邦保安庁(FSB)幹部アレクサンダー・リトビネンコ氏(当時44歳)が06年11月、放射性物質ポロニウム210で毒殺された事件では容疑者2人が特定され、プーチン大統領が指示した可能性まで指摘された。今回はノビチョクがどのような形でイギリスに持ち込まれ、使われたのかもはっきりしない。リトビネンコ事件を年表の中で振り返ってみよう。
病院で治療を受けるリトビネンコ氏(公聴会の資料より)
04年3月 プーチン大統領が再選
06年11月 リトビネンコ事件
07年2月 プーチン大統領がミュンヘン安全保障会議で「アメリカが世界の安定を損なっている」と批判
08年3月 ドミートリー・メドベージェフ大統領誕生。プーチンは首相に
08年8月 南オセチア紛争勃発
12年3月 プーチン大統領が返り咲き(通算3期目)
14年2月 クリミア危機勃発
15年9月 ロシアがシリア空爆
18年3月 スクリパリ事件、プーチン大統領が再選(通算4期目)
06年のリトビネンコ事件と今回の事件で共通するのは「ポスト・プーチン」が取りざたされるようになると、イギリスで元ロシアスパイの暗殺・暗殺未遂事件が起きるということだ。
プーチン大統領にとってイギリスは怖くない「ソフトターゲット」。オリガルヒ(新興財閥)ら巨額のロシアマネーが国際金融都市ロンドンに流れ込み、高級住宅街の不動産を買い漁っている。ロシアマネーが引き揚げて困るのはプーチン大統領ではなく、イギリスだ。