なぜロシアは今も「苦難のロシア」であり続けているのか
18世紀の初め、ピョートル大帝は西欧の文明を取り入れ、ロシアを上から近代化しようとした。彼はサンクトペテルブルクという壮大な新首都をゼロから立ち上げ、大学、病院など西欧の社会制度を移植した。官僚、教師、医者など、これまでなかった中間層が(ごく薄いものだが)形成される。
これら中間層で高等教育を受けた者からは、「インテリゲンツィヤ」と呼ばれる知識階層も(さらに薄いものだが)形成される。知識階層は西欧的な合理精神でロシア社会を見て、その停滞ぶりに憤慨した者は革命家になる。
1815年、ワーテルローの戦いでのナポレオン敗北後、ロシア軍はパリまで進軍するのだが、将校たちはフランスの自由で民主的な社会に触れて、祖国の遅れを痛感する。彼らは帰国後、改革運動を組織し、1825年に皇帝位継承の乱れに乗じて反乱を起こす(「デカブリストの乱」)。
この反乱は失敗し、皇帝ニコライ1世は厳しい弾圧政策を展開する。西欧文明に憧憬し、ロシア社会の改革を夢見るインテリは希望を失い、社会の「余計者」と化す。この余計者の群像は、プーシキンやツルゲーネフなどロシア文学では必須の人間像となる。現代でも、欧米型の社会を夢見るリベラル派は余計者扱いを受けている。
その後もロシアの革命運動は、社会大衆からは遊離したインテリによるテロ活動の色彩を強く持ち続ける。それは1905年1月、日露戦争での劣勢と生活条件の悪化に抗議する大衆の行進が軍による発砲を受けた「血の日曜日事件」で激化し、1911年にはストルイピン首相の暗殺に至る。
ロシアの共産主義はそうした革命運動の1つとして登場した。内部の派閥抗争を続けた後、1917年10月、レーニン率いる「ボリシェビキ」が同年2月の革命以来の混乱で真空化していた中央権力をわずかな兵力で奪取。以後は血なまぐさい内戦を経て、1922年12月にソビエト連邦の樹立を宣言するのである。
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