コラム

なぜロシアは今も「苦難のロシア」であり続けているのか

2022年06月04日(土)17時29分

共産主義とは資本主義の先にある最も進んだ経済段階で、そこでは人間による人間の搾取はなく、「能力に応じて働き、必要に応じて受け取る」パラダイスが実現することになっている。しかし、まだ資本主義さえ確立していない遅れたロシアで「共産主義」を実行したため、ねじれが生じた。

まず経済建設の資金をひねり出すため、農民は低い生活水準のまま集団農園に縛り付けられた。何のことはない。農奴制への逆戻りだ。そして、全ての工場・銀行・商店は国有化され(それはレーニンの意図するところではなかったが、従業員が勝手にそうした)、従業員たちは絶対解雇されることのない、完全雇用を謳歌するようになった。

経済活動は全て計画化され、自由な事業はできなくなる。計画された商品を計画された量だけ生産して、指定されたところに出荷すれば、それで終わり。それが店で実際に売れようが捨てられようが、工場長も従業員も計画された賃金をもらえる。これで経済は自律的に発展する活力を失い、ロシアに近代は成立しなかった。

だから工場従業員は、「働いているふり」で劣悪商品をつくる。企業長は彼らに「給料を払っているふり」をする。なぜ「ふり」かと言うと、店に行っても欲しいものは売っていないからだ。

現在の日本では、格差拡大が批判され、政府が介入して公平な分配を実現するよう求める人が多い。しかしソ連の共産主義では、平等がかえって幹部の特権を助長した。

どういうことかと言うと、ソ連時代、自動車や住宅の価格は低めに抑えられていたものの、自由には買えず、一種の配給制になっていた。企業の労働組合が配給の順番を決めるので、組合書記はおいしい仕事になる。いつも付け届けがあるのだ。

ソ連時代の有名なオペラ歌手ガリーナ・ビシネフスカヤが書いた自伝には、夏の休暇でちょうどいい時期に労組の「海の家」を使わせてもらえるよう、労組の書記におべっかを使う話が出てくる。

ソ連時代、こういう「なんちゃって平等」社会、嘘と偽善で固めた社会を嫌って批判の声を上げるインテリは何人もいた。「反体制家」と呼ばれていたが、当局は彼らの多くを精神障害者として扱い、精神科病院に入れ、薬漬けにして思考能力を奪った。

大衆は、働くふりをしていれば何とか食える社会を満喫。努力して抜きんでようとする者、体制に不満を言う者は迷惑だとばかり、全国津々浦々に染み込んだ共産党組織、そして公安警察KGBに密告した。つまり、よそから見れば抑圧された権威主義の社会は、実は大衆に支持されていたのだ。

プロフィール

河東哲夫

(かわとう・あきお)外交アナリスト。
外交官としてロシア公使、ウズベキスタン大使などを歴任。メールマガジン『文明の万華鏡』を主宰。著書に『米・中・ロシア 虚像に怯えるな』(草思社)など。最新刊は『日本がウクライナになる日』(CCCメディアハウス)  <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

プーチン氏のウクライナ占領目標は不変、米情報機関が

ビジネス

マスク氏資産、初の7000億ドル超え 巨額報酬認め

ワールド

米、3カ国高官会談を提案 ゼレンスキー氏「成果あれ

ワールド

ベネズエラ沖で2隻目の石油タンカー拿捕、米が全面封
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:教養としてのBL入門
特集:教養としてのBL入門
2025年12月23日号(12/16発売)

実写ドラマのヒットで高まるBL(ボーイズラブ)人気。長きにわたるその歴史と深い背景をひもとく

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    懲役10年も覚悟?「中国BL」の裏にある「検閲との戦い」...ドラマ化に漕ぎ着けるための「2つの秘策」とは?
  • 2
    「食べ方の新方式」老化を防ぐなら、食前にキャベツよりコンビニで買えるコレ
  • 3
    待望の『アバター』3作目は良作?駄作?...人気シリーズが直面した「思いがけない批判」とは?
  • 4
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦…
  • 5
    「何度でも見ちゃう...」ビリー・アイリッシュ、自身…
  • 6
    70%の大学生が「孤独」、問題は高齢者より深刻...物…
  • 7
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 8
    中国最強空母「福建」の台湾海峡通過は、第一列島線…
  • 9
    ロシア、北朝鮮兵への報酬「不払い」疑惑...金正恩が…
  • 10
    ウクライナ軍ドローン、クリミアのロシア空軍基地に…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入ともに拡大する「持続可能な」貿易促進へ
  • 4
    【実話】学校の管理教育を批判し、生徒のため校則を…
  • 5
    「最低だ」「ひど過ぎる」...マクドナルドが公開した…
  • 6
    ミトコンドリア刷新で細胞が若返る可能性...老化関連…
  • 7
    自国で好き勝手していた「元独裁者」の哀れすぎる末…
  • 8
    香港大火災の本当の原因と、世界が目撃した「アジア…
  • 9
    【銘柄】資生堂が巨額赤字に転落...その要因と今後の…
  • 10
    身に覚えのない妊娠? 10代の少女、みるみる膨らむお…
  • 1
    日本がゲームチェンジャーの高出力レーザー兵器を艦載、海上での実戦試験へ
  • 2
    人口減少が止まらない中国で、政府が少子化対策の切り札として「あるもの」に課税
  • 3
    日本人には「当たり前」? 外国人が富士山で目にした「信じられない」光景、海外で大きな話題に
  • 4
    【銘柄】オリエンタルランドが急落...日中対立が株価…
  • 5
    日本の「クマ問題」、ドイツの「問題クマ」比較...だ…
  • 6
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 7
    「勇気ある選択」をと、IMFも警告...中国、輸出入と…
  • 8
    インド国産戦闘機に一体何が? ドバイ航空ショーで…
  • 9
    【衛星画像】南西諸島の日米新軍事拠点 中国の進出…
  • 10
    ポルノ依存症になるメカニズムが判明! 絶対やって…
トランプ2.0記事まとめ
Real
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story