コラム

なぜロシアは今も「苦難のロシア」であり続けているのか

2022年06月04日(土)17時29分

これは、エリートと大衆の間に不信と隔絶を生んだ。大衆はエリートを、自分たちの富(大地も石油も、何でも自分たちのものだと思っている)に寄生する無為徒食の徒と見なす。エリートは大衆を、何でも食い尽くして将来に向けての投資というものを知らない存在だと軽蔑する。今でもエリートと一般大衆は互いに、「彼らさえいなければロシアはもっといい国になるのに」と本気で思っている。

ただ皇帝、あるいは現代の大統領、つまり「上御一人」への信頼は大衆の間に根強い。神への信仰に通ずるとも言える。現に皇帝、大統領はロシア正教会の実質的なトップの地位にある。

人間に「個」としての自覚がない社会は、発展を止める。人々はお上に全てを預託するから、全体主義になる。現在のプーチン支持率の高さはこれによる。

西欧の場合、植民地主義は南米からの金銀、カリブ海諸島からの砂糖という富をもたらした。18世紀からの産業革命は、これを資金源とする。ところがロシアの植民地シベリアは、毛皮以外の富はもたらさなかった。金やダイヤ、そして原油が採掘されるようになったのは、はるかに時代が下ってからのことだ。

イギリスでは上流の地主階級であるジェントリー層が事業に投資したおかげで、産業革命が始まった。ロシアでは農奴を使って収穫した穀物を輸出して富を得るのが主流で、工業化への投資は不十分。20世紀初頭にやっと始まった工業化も、1917年の共産主義革命で活力を失った。ソ連時代の計画経済はダムや鉄道などインフラの建設には適していたが、消費財の生産には向かず、ロシアは今に至るも世界から立ち遅れたままだ。

ソ連時代の社会主義経済では、住宅や自動車の価格は低く抑えられていた。一見公平なのだが、実は配給制のようなもので、労働組合の書記か誰かに頼んでリストに載せてもらうと、順番をじっと待つ。付け届けをすると順番を繰り上げてもらえる。こういう社会ではお上への依存意識が芽生えるし、付け届けで物事を解決しようとするから、社会が不健全になる。遅れた経済は、権威主義の土壌になるのだ。

プロフィール

河東哲夫

(かわとう・あきお)外交アナリスト。
外交官としてロシア公使、ウズベキスタン大使などを歴任。メールマガジン『文明の万華鏡』を主宰。著書に『米・中・ロシア 虚像に怯えるな』(草思社)など。最新刊は『日本がウクライナになる日』(CCCメディアハウス)  <筆者の過去記事一覧はこちら

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

インド製造業PMI、3月は8カ月ぶり高水準 新規受

ワールド

中国軍が東シナ海で実弾射撃訓練、空母も参加 台湾に

ビジネス

ユニクロ、3月国内既存店売上高は前年比1.5%減 

ビジネス

日経平均は続伸、米相互関税の詳細公表を控え模様眺め
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 6
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 7
    あまりにも似てる...『インディ・ジョーンズ』の舞台…
  • 8
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 9
    イラン領空近くで飛行を繰り返す米爆撃機...迫り来る…
  • 10
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 5
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 6
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 7
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story