毛沢東の外交は味方よりも多くの敵を生み出す「唯我独尊」だった
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田中角栄元首相との会談(1972年)ではにこやかに挨拶したが ASW/RCS Andrew Wong Reuters Photographer
<毛思想をたたきこまれた習近平はその機微が分からずにアヘン戦争で失った権威の復活に突き進む【特集:文化大革命2.0より】>
筆者のような戦後世代にとって、中国は近くて遠い、どこか抽象的な存在だった。
と言っても、学生時代はマルクス主義運動全盛期。さる名物教授は革命の理想を追い求め、いろいろな革命、そして革命家を僕らに熱っぽく紹介したものだ。毛沢東は、彼にとってアイドルそのもの。農村から始めた革命、人民公社(強制的集団農場)、そして文化大革命。でも、われわれ学生はどこかしっくりこないものを感じていた。
それから50年を経て振り返れば、毛沢東の起こした革命はフランス革命やロシア革命、そして現代の「アラブの春」などとも共通し、結局のところ大衆をアジって味方に付けると武力も使って権力を奪取。その後に大衆は置いてきぼり、という基本パターンをなぞっただけだ。
中国の場合、置いてきぼりどころか毛沢東の「大躍進」政策の失敗で、何千万人もの大衆が餓死する憂き目を見た。
そしてフランスでもロシアでも、革命政権内部の意見の相違は血で血を洗う権力抗争につながる。中国の場合それは、毛沢東がライバルの劉少奇一派を倒すために始めた文化大革命だった。
毛沢東は少年少女たちを洗脳し、「紅衛兵」という暴力装置に仕立て上げた。彼になびかない者たちは軒並みつるし上げられリンチを受けた。家族同士、反革命分子だと密告し合うこともあったため、中国社会は仁義のないものとなった。
そんな文革末期の1976年、筆者は北京を訪れた。くすんだ色の人民服を着た無数の人たちが、薄汚れた自転車に乗って雲霞(うんか) のように広い通りを走っていく。広大な天安門広場の角には公衆トイレがあって、外には臭気が漂い、内部は形容不能の汚さだった。それは当時のソ連も似たようなもので、全てを公有し分配すると、皆が貧乏になってしまう。
皆が一様に貧乏なら人はけっこう幸せなものだが、社会主義の国でいけないのは経済を仕切るお偉方たちが特権を貪ることだ。71年に反毛沢東クーデターに失敗して飛行機で亡命を図った林彪元帥はモンゴルで墜落死するが、現場に林彪夫人のものと思われる赤いハイヒールが転がっていた。毛沢東の4番目の夫人、江青もその傲慢さとプチ贅沢ぶりで大衆に嫌われていた。
毛沢東時代は外交も唯我独尊で、アメリカだけでなく同じ共産主義のソ連や日本共産党とも対立し、1969年にはソ連と国境で戦争を起こした。途上国を仲間だと称しつつ、東南アジアなどでは反政府のマルクス主義勢力を支援して影響力を拡大しようとした。
その結果、インドネシアでは1965年に数十万人もの中国系住民が虐殺された。毛沢東の外交は、味方よりも敵を増やしたのだ。
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