コラム

パレスチナ映画『ガザの美容室』にイスラエルが出てこない理由

2018年06月23日(土)11時27分

『ガザの美容室』ではイスラエルによる占領や攻撃という政治問題は、はるか遠景に退き、人々の生活に困難をもたらす数多くの要因の1つに過ぎなくなる。すべてをイスラエルとの対決という枠組みで捉える政治主義的な見方から脱却しようとする意図を、この映画のつくりから読み取ることができる。

美容室という女性だけの世界で、それぞれの登場人物が、恋人関係、夫婦関係、親子関係、嫁姑関係などからくる葛藤を背負って、濃密な人間のドラマが展開されていく。

しかし、従来の「解放闘争」という政治からの脱却は、現実逃避ではない。人間を犠牲にする「政治」を否定して、暮らしに回帰することで、現実に根差したパレスチナ人のアイデンティティーの再構築と、新たな政治の模索が始まるのだろう。

それは、イスラエルによる占領という現実に対する新たな対峙の方向を探る試みともなるだろう。そのことは、ヨルダン川西岸のビリン村の抵抗を描いたドキュメンタリー映画『壊された5つのカメラ』(2011年、日本でも12年に公開された)でも、「解放闘争」の神話が崩れた後でパレスチナ人が新たな手探りをする姿を見ることができる。

戦いに向かう夫を妻がなじる場面も入れたドキュメンタリー

『壊された5つのカメラ』の舞台となったビリン村の非暴力運動は、2000年秋に始まったパレスチナの第2次インティファーダ(民衆蜂起)がイスラエル軍に抑えこまれて、下火になった後に出てきた。

第2次インティファーダではファタハやハマスの軍事部門が担った武装闘争が中心となったが、イスラム過激派が「自爆テロ」戦術をとったことで、当時のイスラエル首相のシャロンは、パレスチナに対する過剰な軍事攻勢を「対テロ戦争」として激化させ、パレスチナの戦いをねじ伏せた。

ビリン村の非暴力の闘いが人々の生活とつながりで描かれている。監督自身もビリン村の住人で、反入植地闘争の活動家である。デモを撮影しているためにイスラエル軍に拘束され、その後、自宅軟禁になる。軍から「逮捕する」と通告されるが、監督はなおデモの撮影に出ようとする。そんな監督を妻が延々となじる場面がある。

「あなたが撮影なんかするからこんなことに。また逮捕されるなんて。何をされるか分からない。あなたが逮捕されたら私たちはどうすれば? 一度逮捕されたのに何も学ばないんだから。何度も撮影はやめてって言ったじゃない。子供たちと家にいて別のことをして。なぜそうしなかったの? 家族はどうなるの? 私はどうすれば? もう耐えられないわ。やめて。撮影にはウンザリよ。私はもう疲れたの。撮影はやめて」(『壊された5つのカメラ』より)

第2次インティファーダが無残な敗北に終わるまでは、イスラエルとの闘いはパレスチナ人にとって「ジハード(聖なる戦い)」であり、自身を犠牲にすることが義務であり、運命だった。死ぬかもしれない闘争に出ることは、家族にも告げずに秘密裏に行われ、家族はその結果を受け入れるしかなかった。

戦いに出ようとする夫を妻がなじることは個々の家庭の中ではあっただろうが、それがパレスチナ映画となって表に出ることはなかった。

監督は妻の言葉を聞きながらデモを撮影に行くが、妻の言葉が表に出ることで、闘争は家族や生活と切れたものではなく、葛藤を抱えながらも生活とつながり、闘争のための闘争ではなく、家族の将来と、子供の未来のための生活者としての闘争であることを模索している。

『ガザの美容室』を見て、女性たちの言葉を聞きながら、私は『壊された5つのカメラ』に出てきた監督の妻が監督をなじる言葉を思い出していた。大義を唱えて戦う男たちの後ろで、家族を支え、耐えてきた女性たちが、「一体男たちは何をやっているんだ」と声を上げ始めている。女性たちの声という形をとって、パレスチナ人を問い直すことにつながる。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

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