コラム

強権の崩壊は大卒失業者の反乱で始まった【アラブの春5周年(上)】

2016年02月15日(月)15時48分

2011年2月11日夕、ムバラク大統領の辞任が発表され、カイロのタハリール広場で喝采を上げる若者たち=川上泰徳撮影

民主化への期待から混乱へ

「アラブの春」から5年が経過した。2011年2月11日はエジプトでムバラク大統領の辞任が発表された日であり、1月25日にデモが始まって18日目だった。当時、私は毎日のように広場に通って取材をしていた。辞任が発表された時、私はちょうどタハリール広場を離れたところだったが、すぐに広場に戻って、群衆から喝采が上がっているのを見た。大学で中国語を勉強しているという学生が「私は大学を卒業したら中国や日本、欧米に行くことばかり考えてきた。いま初めてエジプトに残って、この国のために働こうと考えている」と語ったのを覚えている。

「アラブの春」を思い出すたびに、あの大学生の言葉を思い出す。あれから5年たって、中東はとどまることを知らない混乱の中にある。エジプトでもムバラク辞任の後、軍政の下で議会選挙と大統領選挙が実施され、いったんは民政に移行したが、軍のクーデターによって民選大統領は排除された。その後に行われた出直し大統領選挙は、クーデターを指揮した元国防相のシーシ氏が97%を得票する無風選挙となり、さらに昨秋に実施された議会選挙の投票率は28%と低く、議会は翼賛体制となった。若者たちのデモも禁止された。あの若者はいま、何を思うだろう。

【参考記事】ノーベル平和賞のチュニジアだけが民主化に「成功」した理由

「アラブの春」で独裁体制が崩壊したのは、エジプトの他にチュニジア、リビア、イエメンだが、民主化が残っているのは、昨年のノーベル平和賞を受賞したチュニジアだけだ。そのチュニジアでさえ、昨年、外国人観光客を狙った2つの大規模テロがあり、政治の危うさが浮き彫りになった。リビアは選挙で議会が生まれたが、政治が分裂し、内戦を戦った反政府勢力から生まれた民兵の抗争もからみ、国の分裂へと進んでいる。

 イエメンではサレハ大統領は辞任したが、民主化プロセスは進まず、サレハ氏がシーア派武装組織のフーシ派と結託して反乱を起こし、内戦化した。昨年1月にフーシ派が首都を制圧し、サウジアラビアが率いる中東の有志連合軍がフーシ派を空爆する事態となっている。

 最も悲惨な状況に陥っているのは内戦化したシリアで、5年で死者25万人以上、難民は420万人以上という第2次世界大戦後、最悪の事態となっている。さらに、イラクとシリアにまたがる過激派組織「イスラム国(IS)」の出現によって国際的な脅威となっている。

長期の強権体制の矛盾が噴き出す

 チュニジア、エジプトでの平和的デモによって長年続いた強権体制が倒れたことから、「アラブの春」は中東民主化の始まりとして世界の注目を集めたが、いま完全に暗転してしまった。中東の混乱は強権体制が倒れたために起こったと考え、「アラブの春」を否定的に捉える意見が出るのは止むを得ない反応ではある。しかし、私が長年、ニュースの現場から中東を見てきた経験から思うのは、強権支配で民衆を黙らせることで国が安定する時代が終わったという理解を持たなければ、新たな安定を構築することもできないということである。

「アラブの春」の後、中東で半世紀以上続いた独裁体制や強権体制のひずみや矛盾が噴き出した。現在の中東の混乱は、強権支配でたまった膿が一気に出てきた結果であって、「アラブの春」はそのきっかけをつくったにすぎないと私は考えている。さらに現在、中東を覆っている恐怖政治やテロや民兵の暗躍など「アラブの春」の後の混乱も、長期強権体制の暴力性が表面化したものである。中東の安定化の鍵は、社会に回った強権体制の毒を中東の人々がいかにして克服するかであり、国際社会がそのために手助けすることである。

プロフィール

川上泰徳

中東ジャーナリスト。フリーランスとして中東を拠点に活動。1956年生まれ。元朝日新聞記者。大阪外国語大学アラビア語科卒。特派員としてカイロ、エルサレム、バグダッドに駐在。中東報道でボーン・上田記念国際記者賞受賞。著書に『中東の現場を歩く』(合同出版)、『イラク零年』(朝日新聞)、『イスラムを生きる人びと』(岩波書店)、共著『ジャーナリストはなぜ「戦場」へ行くのか』(集英社新書)、『「イスラム国」はテロの元凶ではない』(集英社新書)。最新刊は『シャティーラの記憶――パレスチナ難民キャンプの70年』
ツイッターは @kawakami_yasu

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

米政権、軍事装備品の輸出規制緩和を計画=情報筋

ワールド

ゼレンスキー氏、4日に多国間協議 平和維持部隊派遣

ビジネス

米ISM製造業景気指数、3月は50割り込む 関税受

ビジネス

米2月求人件数、19万件減少 関税懸念で労働需要抑
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:引きこもるアメリカ
特集:引きこもるアメリカ
2025年4月 8日号(4/ 1発売)

トランプ外交で見捨てられ、ロシアの攻撃リスクにさらされるヨーロッパは日本にとって他人事なのか?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大はしゃぎ」する人に共通する点とは?
  • 2
    8日の予定が286日間に...「長すぎた宇宙旅行」から2人無事帰還
  • 3
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる唯一の方法
  • 4
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
  • 5
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「…
  • 6
    磯遊びでは「注意が必要」...6歳の少年が「思わぬ生…
  • 7
    「隠れたブラックホール」を見つける新手法、天文学…
  • 8
    【クイズ】アメリカの若者が「人生に求めるもの」ラ…
  • 9
    【クイズ】2025年に最も多くのお金を失った「億万長…
  • 10
    トランプが再定義するアメリカの役割...米中ロ「三極…
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 3
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥーが解明される...「現代技術では不可能」
  • 4
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 5
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 6
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 7
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 5
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 6
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 7
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 8
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 9
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story