金沢の「尹奉吉記念館」問題を考える
朝鮮の独立運動家である尹は1932年、上海の虹口公園で起こった「上海天長節爆弾事件」の実行者である。この事件で上海派遣軍司令官の白川義則と上海日本人居留民団行政委員会会長の河端貞次が死亡し、民間人を含む多くの犠牲者が出た。韓国教育省傘下の研究機関「東北アジア歴史財団」の理事長を務めた金度亨(キム・ドヒョン)は、尹がこの事件を引き起こした「根本的理由」を「中国と日本が戦争を起こすような条件をつくるため」だったと記した。自らの政治的目的を達成するために物理的な暴力を駆使して人々を殺傷した、という意味では典型的な「テロリズム」というべき事件である。
本国からの「落下傘」的な活動
自らが奉じる正義のためにどこまで物理的な暴力の行使が認められるべきか、は世界史における永遠の課題であり、今後も議論の尽きない問題である。その場で逮捕された尹は、その後軍法会議により死刑を宣告され、上海に出兵していた金沢の第9師団の敷地内で処刑、市内に「暗葬」された。第2次大戦後、現地の在日コリアンにより発掘された遺体はソウルで改めて埋葬され、慰安婦問題激化により歴史認識問題に対する関心が高まった92年、金沢でも在日コリアンと市民運動家らの手により「尹奉吉義士殉国紀念碑」や「暗葬之跡碑」が設置された。金沢ではその後も、有志による尹への顕彰・慰霊活動が行われてきた。
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