政治工作、ビジネス、資金集め...「統一教会」問題を、歴史と国際情勢から紐解く
教祖・文鮮明は最初期から海外進出に積極的だった JO YONG HAKーREUTERS
<韓国で誕生した旧統一教会は韓国国内にとどまらず、日本そしてアメリカで積極的に活動してきた。そこにはどんな思惑と時代背景があったのか>
旧統一教会(世界平和統一家庭連合)に関する議論が高まっている。言うまでもなく、この宗教は韓国由来のものであり、今回はこの宗教について国際関係の観点から論じてみたい。
文鮮明(ムン・ソンミョン)が韓国の首都ソウルで世界基督教統一神霊協会(以下、統一教会)を設立したのは1954年、朝鮮戦争休戦の翌年である。同協会は最初期から海外への進出に積極的であり、58年に日本、翌59年にはアメリカへの進出を果たしている。以後、教会はこの3カ国を中心に活動を進めている。
統一教会が俄然注目を浴びるようになったのは、61年に朴正煕(パク・チョンヒ)政権が軍事クーデターにより成立した後のこと。重要な役割を果たしたのは、教会ナンバー2の朴普煕(パク・ボヒ)だといわれている。
朴普煕は朴正熙と同じ陸軍士官学校2期生で、57年に同教会に入信した。その後も軍歴にあった彼は、クーデターが勃発した年に駐米韓国大使館の陸軍武官補佐官に任命され、そこで退役する。米陸軍士官学校への留学経験を持つ彼は英語に堪能であり、後に文鮮明の通訳も務めている。
朴普煕の役割の1つは、教会と情報機関をつなぐことだった。64年、統一教会はアメリカにおいて韓国自由文化財団を組織、名誉総裁に韓国中央情報部、つまりKCIAの長だった金鍾泌(キム・ジョンピル)を迎えている。以後、中央情報部と同財団は連携して米国内での世論工作を展開、それが76年のコリアゲート(ニクソン政権による在韓米軍撤退を阻止するための政治工作)へつながったことは、後の調査報告書で明らかになった。
アメリカを反共陣営にとどめようと努めた
キッシンジャーの電撃訪中に始まったアジアのデタントは、韓国と同じく冷戦の最前線に置かれた南ベトナムを崩壊させ、台湾を日米との国交断絶へと追い込んだ。この状況下、朴政権と教会は東側との対話を模索するアメリカを反共陣営にとどめようと政治工作に努めたことになる。
冷戦下、政権と連携した統一教会は韓国国内においても急速に勢力を拡張した。政治色の強いアメリカでの活動とは異なり、韓国で注目されたのは多角的なビジネス展開だった。中心は、食品会社の「一和(イルファ)」であり、同社は朝鮮人参販売のトップカンパニーだ。
メディア面では「世界日報」(同名の日本の新聞とは別媒体)が中心で、同紙は街角のキオスクでも売られる「全国紙」としての地位を獲得する。教会は大学も有しており、これらの法人は韓国において「統一グループ」として認識されている。
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