コラム

安倍晋三を朝鮮半島で躓かせたアナクロニズム

2020年09月11日(金)11時35分

状況は北朝鮮においても同様だ。2002年における小泉訪朝における北朝鮮自身による拉致告白以降、日本政府は北朝鮮への経済制裁を強め、2010年には日朝間の貿易はほぼゼロに等しい水準にまで減少した。そこには日本がこれ以上経済制裁を強化する事が困難な状況が既に存在し、にも拘わらず、北朝鮮経済は緩やかにせよ成長を続けていた。言い換えるなら、2012年末、第二次安倍政権成立時には、既に北朝鮮には日本との経済関係なしにやっていける状況が存在し、だからこそ彼らは日本からのアプローチを拒絶する事が出来た。そこには北朝鮮は日本との経済関係を切に欲している筈だという「古い理解」とは異なる状況があり、だからこそ拉致問題解決後の投資等の可能性をちらつかせる「古い手段」による日本側のアプローチは実を結ばなかった。

親韓派の巨頭を祖父に持ち、拉致問題の解決を自らの政治家としてのライフワークの一つとして持つ安倍首相は同時に、日本がアジア唯一の経済大国として、朝鮮半島に大きな影響力を有した時代のイメージを以て、これに対した政治家だと言えた。だからこそ、彼は冷戦期同様に、南北両国は最終的に日本との関係を欲している筈だ、という前提で行動した。そこにはある意味では、冷戦期における朝鮮半島、更にはアジアにおける日本、更には日米同盟を中心とした秩序を回復しようという「(新)冷戦的」志向が存在した。

過去に囚われていた安倍

その様な安倍首相の外交政策の方向性は、アメリカとの関係においては──多分にポピュリスティックな方向性こそ持つものの
──一定の範囲で同じ「(新)冷戦的」志向を持つトランプ大統領の登場である程度の成果を収める事となった。しかしながら、同じ事は、朝鮮半島では起こらなかった。1954年生まれの安倍首相に対して、同時期に在任した二人の韓国の大統領は朴槿惠が1952年、文在寅が1953年生まれ。ほぼ同時代に生まれた3人であったが、進歩派の文在寅は勿論、保守派の朴槿恵も、安倍首相とは異なる国際社会に対する感覚を有していた。つまり、安倍首相が依然として冷戦期から続く日米同盟を基軸に国際戦略を描いたのに対し、朴槿惠や文在寅はより──時に過剰なまでに──奔放に自国の自主性を重んじた国際戦略を描いた。

安倍首相の朝鮮半島外交の背景には依然として30年前に存在した冷戦の影響が存在し、彼の朝鮮半島政策はこの冷戦期の日本のイメージを追い求めたものだと言えた。そしてこの様な彼の朝鮮半島政策には、再び、親韓派の巨頭である岸信介を祖父に持ち、1990年代の「歴史修正主義的」とも言われる運動を若手政治家の一人としてリードし、小泉政権下の官房長官として北朝鮮による拉致告白の現場に居合わせた安倍首相の個人的経歴が長い影を落としている。

プロフィール

木村幹

1966年大阪府生まれ。神戸大学大学院国際協力研究科教授。また、NPO法人汎太平洋フォーラム理事長。専門は比較政治学、朝鮮半島地域研究。最新刊に『韓国愛憎-激変する隣国と私の30年』。他に『歴史認識はどう語られてきたか』、『平成時代の日韓関係』(共著)、『日韓歴史認識問題とは何か』(読売・吉野作造賞)、『韓国における「権威主義的」体制の成立』(サントリー学芸賞)、『朝鮮/韓国ナショナリズムと「小国」意識』(アジア・太平洋賞)、『高宗・閔妃』など。


あわせて読みたい
ニュース速報

ワールド

韓国尹大統領に逮捕状発付、現職初 支持者らが裁判所

ワールド

アングル:もう賄賂は払わない、アサド政権崩壊で夢と

ワールド

アングル:政治的権利に目覚めるアフリカの若者、デジ

ワールド

アングル:フィリピンの「ごみゼロ」宣言、達成は非正
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:トランプ新政権ガイド
特集:トランプ新政権ガイド
2025年1月21日号(1/15発売)

1月20日の就任式を目前に「爆弾」を連続投下。トランプ新政権の外交・内政と日本経済への影響は?

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼いでいるプロゲーマーが語る「eスポーツのリアル」
  • 2
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べている」のは、どの地域に住む人?
  • 3
    「搭乗券を見せてください」飛行機に侵入した「まさかの密航者」をCAが撮影...追い出すまでの攻防にSNS爆笑
  • 4
    感染症に強い食事法とは?...食物繊維と腸の関係が明…
  • 5
    女性クリエイター「1日に100人と寝る」チャレンジが…
  • 6
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 7
    失礼すぎる!「1人ディズニー」を楽しむ男性に、女性…
  • 8
    フランス、ドイツ、韓国、イギリス......世界の政治…
  • 9
    本当に残念...『イカゲーム』シーズン2に「出てこな…
  • 10
    オレンジの閃光が夜空一面を照らす瞬間...ロシア西部…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 3
    睡眠時間60分の差で、脳の老化速度は2倍! カギは「最初の90分」...快眠の「7つのコツ」とは?
  • 4
    「拷問に近いことも...」獲得賞金は10億円、最も稼い…
  • 5
    メーガン妃のNetflix新番組「ウィズ・ラブ、メーガン…
  • 6
    轟音に次ぐ轟音...ロシア国内の化学工場を夜間に襲う…
  • 7
    【クイズ】世界で1番マイクロプラスチックを「食べて…
  • 8
    北朝鮮兵が「下品なビデオ」を見ている...ロシア軍参…
  • 9
    ドラマ「海に眠るダイヤモンド」で再注目...軍艦島の…
  • 10
    【クイズ】次のうち、和製英語「ではない」のはどれ…
  • 1
    ティーバッグから有害物質が放出されている...研究者が警告【最新研究】
  • 2
    大腸がんの原因になる食品とは?...がん治療に革命をもたらす可能性も【最新研究】
  • 3
    体の筋肉量が落ちにくくなる3つの条件は?...和田秀樹医師に聞く「老けない」最強の食事法
  • 4
    夜空を切り裂いた「爆発の閃光」...「ロシア北方艦隊…
  • 5
    インスタント食品が招く「静かな健康危機」...研究が…
  • 6
    TBS日曜劇場が描かなかった坑夫生活...東京ドーム1.3…
  • 7
    「涙止まらん...」トリミングの結果、何の動物か分か…
  • 8
    膝が痛くても足腰が弱くても、一生ぐんぐん歩けるよ…
  • 9
    「戦死証明書」を渡され...ロシアで戦死した北朝鮮兵…
  • 10
    「腹の底から笑った!」ママの「アダルト」なクリス…
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story