ナショナリズムを刺激する「軍艦島」の、世界遺産としての説明責任は重い
しかしながら、ここで述べなければならないのは、この「世界遺産としての明治日本の産業革命遺産」に対する、日韓或いは日中の「熱い論争」もまた、北東アジアの狭い歴史的文脈の中から生まれたものであり、その域外にある他国にはその文脈が共有し難いものだ、と言う事である。
その事の意味はこの「世界遺産」の世界史的な位置づけを考えればわかる。確かにユネスコはその登録において、明治期の産業化遺産を「日本が世界有数の工業国にのし上がった」基盤を作ったものだと認定しているが、その事は必ずしも、この遺産に数あるユネスコの世界遺産の中で、突出した歴史的重要性が与えられている事を意味しない。即ち、この遺産は現在認定されている50もの産業化に関わる世界遺産の一つにしか過ぎず、これらの産業化遺産の中には、産業革命の先鞭をつけたイギリスのものは勿論、インドや中南米といった非欧米諸国のものも数多く含まれている。そもそも日本自身にとっても、過去に富岡製糸場や石見銀山が世界遺産に登録されており、「明治日本の産業革命遺産」は、日本国内で初めて産業化遺産として登録された世界遺産ではないのである。仮に登録の順序が、国際社会における個々の歴史的遺産の重要性に対する理解と、それを考慮した各国政府の戦略をある程度反映したものであるとするならば、明治期の産業化遺産に対する国際社会の注目度は、法隆寺や姫路城、更には原爆ドームや熊野古道に大きく劣る事になる。ユネスコはこれまで193か国の1121件をも世界遺産に指定しており、その数は文化遺産だけで869件に及んでいる。当然の事ながら、「明治日本の産業革命遺産」はその中の一つ、にしか過ぎないのである。
問題は朝鮮人差別ではない
にも拘わらず、明治期の近代化の歴史を自らの国民的アイデンティティの重要な一部をなすと考える多くの日本人は、ここでは過敏な反応を見せる事になる。例えば、冒頭に取り上げたセンターでは、端島において「朝鮮人だからと言って差別されたことはない」とした、在日韓国人2世の元島民の証言が紹介されている。しかし、この様なアプローチは既にそのインタビューの方向性が、日本側の「国民史」からのバイアスを強く受ける事になってしまっている。何故なら、「世界遺産」的な観点から言うなら、炭鉱等において過酷な状況に置かれた事に対する悲惨さは、そこにおける労働者たちの出自とは何の関係もない筈のものだからである。そもそも2015年に韓国政府が主張したのは「朝鮮人の強制労働」であって、「朝鮮人に日本人と異なる待遇が与えられた事」ではない。内地出身者であろうと、朝鮮半島出身者であろうと、そこに悲惨な日常があったのであれば、その事実が国際社会においては否定的に捉えられる事は避けられず、殊更に「そこに差別がなかった」事を強調する意味は何もない。にも拘わらず、本来関係のない筈の「差別」に焦点が当てられてしまった背景に、耳障りな韓国や中国の指摘に反発し、この時代を少しでも肯定的に記述したい日本の「国民史」の側の事情を読み取る事は容易である。
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