弱者を弱者に甘んじさせないために
少々脱線しますが、経済的弱者が救われなければ本質的な意味での社会全体の経済増強はなり得ませんから、トリクルダウンなどという発想はナンセンスと切り捨てておきましょう。その効果がほとんど期待できないということは既に世界中でベストセラーとなったピケティ氏の「21世紀の資本」やOECD報告書の「格差と成長」で触れられており、今や国際通念と言っても過言ではありません。大体、強者から順に豊かになり、それが下の方に滴り落ちていくはずなどという発想自体、大多数の弱者は強者の手から滴り落ちてくる「おこぼれを」を待てというようなもので、失礼極まりない話です。
例えば米国での格差は現状でも酷いものですが、格差是正に向けて方向転換をしており、そのための中間層向けの経済政策は「功を奏す」と今年の一般教書でもオバマ大統領が断言したほど(So the verdict is clear. Middle-class economics works. 「審判は明らかだ。中間層向けの経済政策は功を奏す」)。社会格差の是正が国際社会の主流テーマとなっている中で今さらトリクルダウンなどというのは完全に時代錯誤、周回遅れの経済政策とも言えましょう。たとえ外部要因で株価が大暴落を起こしても、国内経済の実体が増強されていれば市場の激変による荒波も乗り越えることができるのです。
OECD報告は「蔓延している所得格差の拡大が社会・経済に及ぼす潜在的な悪影響が懸念されている」との指摘ですから、実体経済置き去りのままの株価上昇ありきではなく、目指すべきはボトムアップの経済政策、つまり弱者を弱者に甘んじさせない経済政策や税制などの制度が必要であり有用となります。というわけで、社会的弱者である障がい者を社会でいかに受け入れるかを考えることは、ボトムアップの経済政策を考えるベースにも通じるわけです。
障がい者を社会でいかに受け入れるかについて。米国は2015年7月26日に米国障がい者法(Americans with Disabilities Act、通称ADA)が施行されて25周年を迎えました。(こちらがその原本となります)
この法律は差別を非合法とする公民権法の中の1つに位置づけられるものです。今となっては何ら目新しいことではないように思われるかもしれませんが、施行当時としては障がいによる差別を一切禁止する、世界初の障がい者に対する包括的な法律でもありました。当時、全米で4300万人いるとされた障がい者の完全なる人権と平等を実現し、社会参加に対する全ての差別を禁止した内容は日本には「衝撃」として伝わっていましたので、四半世紀前から日本での弱者への理解がいかに遅れていたかが想像できます。現在、日本でもバスや鉄道などにバリアーフリーの場所が確保されるようになったのも、公共交通機関は障がい者が容易に利用できなければならない、というADAの大きな柱を受け継いだものといってよいでしょう。
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