弱者を弱者に甘んじさせないために
25周年の記念式典のスピーチの冒頭でオバマ大統領は開かれた社会こそが米国の活力になることについて四半世紀を経て、あらためて強調していました。そして、「equal, not subhuman (平等であり、人間以下ではない)」との意識を徹底するため、単なる障がい者保護に留まらず、障がい者の就労にもスピーチは及びます。聴覚障がい者としては初めてホワイトハウスでの受付業務に就いたLeah Katz-Hernandez氏。彼女の日常業務は手話通訳者を介して行われています。ADAの下では彼女は当然の権利として手話通訳を要求することができ、サポートを得た上でのその職務遂行能力が高く評価されているのです。かようにADAによって障がいを抱える何百万人ものが職につけ、家族を養うことが可能となってきました。しかし、その一方で依然として働きたくてもそして働けるのに働けない人たちがいるのも事実で、こうした障がい者の権利の追求は米国人のためだけでなく、人類全体の権利であるとも述べています。
印象的だったのは30代から多発性硬化症を患った義父に話が及んだ部分です。オバマ大統領が義父に知り合った頃には松葉づえ(オバマ大統領のジェスチャーから察して、恐らく左右2つ)を必要としていたこと。ADAのない時代に職に就き、一日も休まないどころか、支度をするのも一苦労であるのに一度たりとも遅刻なしで出勤し、家族を養っていたこと。息子のバスケットの試合開始の45分前には混雑を避け会場に行き、松葉づえの自分が邪魔にならないようにと配慮しながら息子の応援をしたこと。大統領自身がそうであったように、義父の存在によって障がい者への理解が深まり、開眼した人たちが多かったこと。障がいのある人たちの障壁を取り除くのがそれ以外の人間の役割であり、それがいかに重要であるかを説きます。
15分弱のスピーチでは原稿に度々視線を落とすしぐさが見受けられたのですが、最後の数分ですが、障がいはオバマ大統領にとって他人事ではないとの話では原稿に目を落とすことはありませんでした。後に公表されたスピーチ全文からその眼を落さなかった部分を抽出したのが下記です。
余談ではあるけれど、長い間、彼(義父)は電動車椅子を手に入れることができなかった、というのも彼がこの障がいを患っていた時代には高価で手に届かなかったからで、彼ら家族は裕福ではなかったし、保険が常にカバーするようなものではなかったから。
もう少し付け加えると、ミシェルと自分は時々、義父がもっと多くのことが出来たのではないか、もっと認められてもよかったのではないかという話をするんだ。彼は素晴らしい父親であり、仕事場でも十分素晴らしい仲間で、と同時に彼は自分が出来ることと出来ないことについてとても気を付けていた。それは彼が何かを出来ないからではなくて、家族に不便をかけたくない、周りに迷惑をかけていると見られたくないという気持ちからだった。
これが、この法案が通る前の、驚く程強い意思を持っている人々であったとしても、障がいを抱える人たちの姿だった。肉体だけの障壁ではないんだ。何をすべきで何をすべきでないかその人に無理強いをしてしまうものなのだ。
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