コラム

【ホメない書評】ベストセラー本『1分で話せ』は、「根拠」がないのになぜ売れた?

2019年12月19日(木)17時00分

Satoko Kogure-Newsweek Japan

<30万部超えの『1分で話せ』は、「伝える技術」の鍵として「根拠」を提示することの重要性を説く。だが、同書が伝授する「左脳」と「右脳」に働きかけるプレゼン技術には、脳科学の知見など「根拠」が示されていない>

今回のダメ本

1分で話せ 世界のトップが絶賛した大事なことだけシンプルに伝える技術
 伊藤羊一 著
 SBクリエイティブ

衝撃を受けている。昨年の発売以来30万部超えのベストセラーとなり、かの孫正義が大絶賛したというプレゼン技術を伝授するこの本に、「右脳」「左脳」という言葉が無邪気に出てくることに。それがロジック=左脳、感情=右脳という時代遅れの俗説に基づいていることに、である。

著者はのっけから「人は左脳で理解し、右脳で感じて、それでやっと動ける」とか「人を動かすには、『左脳』と『右脳』の両方に働きかけなければなりません」と述べる。帯には「結論+根拠+たとえばで=相手の右脳と左脳を動かす」、見出しには「右脳を刺激してイメージを想像させよう」といった具合に、やたらと「脳」を推した説明が連発される。

ここで、最近の知見を参照してみよう。使うのは東京大学薬学部教授で、一般向けの解説書も多数出版している池谷裕二が監修した『大人のための図鑑 脳と心のしくみ』(2015年、新星出版社)である。池谷によると、そもそも右脳派は感性を重視していて創造的であり、左脳派は論理を重んじるというのは俗説でしかない。

確かに、右利きの人のほとんどと左利きの人の30~50%は言語活動をつかさどる部位が左脳(左大脳半球)にある。全体の90%以上の人が左脳に言語野(げんごや)を持つことは事実だが──つまり右脳に言語野を持つ人もいるが──、「最近の知見では両側をほぼ均等に使っているということもわかってきている」(池谷前掲書)。

言語活動は左半球が優位だが、右半球でも言葉を理解していることを裏付ける実験もあるという。つまり、プレゼンのように言葉を聞き取ったり、文字を読んだりする場面では左右の脳が活動し、「脳内のさまざまな領域がダイナミックに連動している可能性」があるというのが、ここまでの脳研究の知見である。

著者の伊藤が繰り出す脳関連の表現は、たとえ比喩だとしても、近年の脳研究をフォローしていればまずあり得ないような極めて単純な解釈と言わざるを得ない。左脳が理解するロジックやら、右脳を刺激するイメージというのは、一体どのような「根拠」から言えることなのだろうか。「伝える技術」の鍵であると帯にまで書いて重視する「根拠」とやらが本当にあるのか、脳科学に関しては1冊も参考文献が挙げられていないので、こちらは知る由もない。

プロフィール

石戸 諭

(いしど・さとる)
記者/ノンフィクションライター。1984年生まれ、東京都出身。立命館大学卒業後、毎日新聞などを経て2018 年に独立。本誌の特集「百田尚樹現象」で2020年の「編集者が選ぶ雑誌ジャーナリズム賞作品賞」を、月刊文藝春秋掲載の「『自粛警察』の正体──小市民が弾圧者に変わるとき」で2021年のPEPジャーナリズム大賞受賞。著書に『リスクと生きる、死者と生きる』(亜紀書房)、『ルポ 百田尚樹現象――愛国ポピュリズムの現在地』(小学館)、『ニュースの未来』 (光文社新書)など

今、あなたにオススメ
ニュース速報

ワールド

ミャンマー地震の死者1000人超に、タイの崩壊ビル

ビジネス

中国・EUの通商トップが会談、公平な競争条件を協議

ワールド

焦点:大混乱に陥る米国の漁業、トランプ政権が割当量

ワールド

トランプ氏、相互関税巡り交渉用意 医薬品への関税も
今、あなたにオススメ
MAGAZINE
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
特集:まだ世界が知らない 小さなSDGs
2025年4月 1日号(3/25発売)

トランプの「逆風」をはね返す企業の努力が地球を救う

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 2
    突然の痛風、原因は「贅沢」とは無縁の生活だった...スポーツ好きの48歳カメラマンが体験した尿酸値との格闘
  • 3
    ロシア空軍基地へのドローン攻撃で、ウクライナが「最大の戦果」...巡航ミサイル96発を破壊
  • 4
    最古の記録が大幅更新? アルファベットの起源に驚…
  • 5
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 6
    なぜ「猛毒の魚」を大量に...アメリカ先住民がトゲの…
  • 7
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 8
    「炊き出し」現場ルポ 集まったのはホームレス、生…
  • 9
    ガムから有害物質が体内に取り込まれている...研究者…
  • 10
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 1
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山ダムから有毒の水が流出...惨状伝える映像
  • 2
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き詰った「時代遅れ企業」の行く末は?【アニメで解説】
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    「テスラ離れ」止まらず...「放火」続発のなか、手放…
  • 5
    【独占】テスラ株急落で大口投資家が本誌に激白「取…
  • 6
    「低炭水化物ダイエット」で豆類はNG...体重が増えな…
  • 7
    800年前のペルーのミイラに刻まれた精緻すぎるタトゥ…
  • 8
    一体なぜ、子供の遺骨に「肉を削がれた痕」が?...中…
  • 9
    「この巨大な線は何の影?」飛行機の窓から撮影され…
  • 10
    現地人は下層労働者、給料も7分の1以下...友好国ニジ…
  • 1
    中国戦闘機が「ほぼ垂直に墜落」する衝撃の瞬間...大爆発する機体の「背後」に映っていたのは?
  • 2
    「テスラ時代」の崩壊...欧州でシェア壊滅、アジアでも販売不振の納得理由
  • 3
    「さようなら、テスラ...」オーナーが次々に「売り飛ばす」理由とは?
  • 4
    テスラ離れが急加速...世界中のオーナーが「見限る」…
  • 5
    「一夜にして死の川に」 ザンビアで、中国所有の鉱山…
  • 6
    テスラ失墜...再販価値暴落、下取り拒否...もはやス…
  • 7
    「今まで食べた中で1番おいしいステーキ...」ドジャ…
  • 8
    市販薬が一部の「がんの転移」を防ぐ可能性【最新研…
  • 9
    テスラ販売急減の衝撃...国別に見た「最も苦戦してい…
  • 10
    テスラの没落が止まらない...株価は暴落、業績も行き…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story