コラム

がん細胞だけ攻撃する免疫細胞をオーダーメイドで作ることに成功 ゲノム編集技術の歴史と未来

2022年11月15日(火)11時20分

今回の米研究チームによる研究は、「CRISPR-Cas9によるオーダーメイド治療」と「T細胞を遺伝子操作して腫瘍を標的化する」という分野の2つの最新技術を組み合わせました。

遺伝子操作されたT細胞を使う治療法は「CAR-T細胞療法」と呼ばれ、全身を循環する血液がんやリンパがんの治療では有効とされていますが、固形腫瘍では難しいと考えられてきました。CAR-T細胞は腫瘍細胞の表面に発現しているタンパク質にのみ有効なこと、固形腫瘍では表面に発現するタンパク質に個人差があることが理由です。さらに白血球の一種であるT細胞は血流で腫瘍まで運ばれますが、腫瘍細胞が免疫を抑制する化学シグナルを出すこともあり、その場合は腫瘍に近づくとT細胞の機能が低下してしまいます。

研究チームは、乳がんや結腸がんの患者16人に対して、固形腫瘍の変異タンパク質を特定し、どの変異にT細胞が応答して細胞の破壊反応を引き起こす可能性が高いか予測しました。その後、腫瘍の変異を認識できるT細胞受容体をオーダーメイドで設計して、患者の体内にCRISPR-Cas9でゲノム編集したT細胞を注入しました。

その結果、遺伝子編集されているT細胞は編集されていないT細胞よりも腫瘍の近くに高濃度で存在していること、1カ月後に16人中5人の腫瘍が安定している(成長していない)ことなどを確認しました。チームは今後も、「免疫抑制シグナルに応答するT細胞側の受容体を除去する」といった改良したCAR-T細胞療法を考えています。

倫理問題が深刻

もっとも、CRISPR-Cas9にも問題点はあります。

まず、他のゲノム編集技術と比べて、標的のDNA領域ではない他の配列の領域を間違って切断してしまう「オフターゲット作用」が生じやすい問題があります。ただし、技術が確立してから10年経った現在は、編集を行いたい領域のゲノム配列を入力すると、より特異性が高く、オフターゲットの可能性の低いガイドRNAをランク付けして教えてくれるウェブサイトも開発されています。この問題点のためにCRISPR-Cas9を手放すにはあまりにも利点が大きいので、研究現場ではマイナス面と上手く付き合いながら科学技術の発展を待つスタンスになっています。

プロフィール

茜 灯里

作家・科学ジャーナリスト。青山学院大学客員准教授。博士(理学)・獣医師。東京大学理学部地球惑星物理学科、同農学部獣医学専修卒業、東京大学大学院理学系研究科地球惑星科学専攻博士課程修了。朝日新聞記者、大学教員などを経て第24回日本ミステリー文学大賞新人賞を受賞。小説に『馬疫』(2021 年、光文社)、ノンフィクションに『地球にじいろ図鑑』(2023年、化学同人)、ニューズウィーク日本版ウェブの本連載をまとめた『ビジネス教養としての最新科学トピックス』(2023年、集英社インターナショナル)がある。分担執筆に『ニュートリノ』(2003 年、東京大学出版会)、『科学ジャーナリストの手法』(2007 年、化学同人)、『AIとSF2』(2024年、早川書房)など。

あわせて読みたい
ニュース速報

ビジネス

豊田織機の非公開化報道、トヨタ「一部出資含め様々な

ビジネス

中国への融資終了に具体的措置を、米財務長官がアジア

ビジネス

ベッセント長官、日韓との生産的な貿易協議を歓迎 米

ワールド

アングル:バングラ繊維産業、国内リサイクル能力向上
あわせて読みたい
MAGAZINE
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
特集:独占取材 カンボジア国際詐欺
2025年4月29日号(4/22発売)

タイ・ミャンマーでの大摘発を経て焦点はカンボジアへ。政府と癒着した犯罪の巣窟に日本人の影

メールマガジンのご登録はこちらから。
人気ランキング
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    中国で「ネズミ人間」が増殖中...その驚きの正体とは? いずれ中国共産党を脅かす可能性も
  • 3
    トランプ政権の悪評が直撃、各国がアメリカへの渡航勧告を強化
  • 4
    健康寿命は延ばせる...認知症「14のリスク要因」とは…
  • 5
    アメリカ鉄鋼産業の復活へ...鍵はトランプ関税ではな…
  • 6
    ロシア武器庫が爆発、巨大な火の玉が吹き上がる...ロ…
  • 7
    関税ショックのベトナムすらアメリカ寄りに...南シナ…
  • 8
    ロケット弾直撃で次々に爆発、ロシア軍ヘリ4機が「破…
  • 9
    パニック発作の原因の多くは「ガス」だった...「ビタ…
  • 10
    ビザ取消1300人超──アメリカで留学生の「粛清」進む
  • 1
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」ではない
  • 2
    「生はちみつ」と「純粋はちみつ」は何が違うのか?...「偽スーパーフード」に専門家が警鐘
  • 3
    「スケールが違う」天の川にそっくりな銀河、宇宙初期に発見される
  • 4
    【クイズ】「地球の肺」と呼ばれる場所はどこ?
  • 5
    女性職員を毎日「ランチに誘う」...90歳の男性ボラン…
  • 6
    教皇死去を喜ぶトランプ派議員「神の手が悪を打ち負…
  • 7
    『職場の「困った人」をうまく動かす心理術』は必ず…
  • 8
    自宅の天井から「謎の物体」が...「これは何?」と投…
  • 9
    「100歳まで食・酒を楽しもう」肝機能が復活! 脂肪…
  • 10
    トランプ政権はナチスと類似?――「独裁者はまず大学…
  • 1
    【話題の写真】高速列車で前席のカップルが「最悪の行為」に及ぶ...インド人男性の撮影した「衝撃写真」にネット震撼【画像】
  • 2
    健康寿命を伸ばすカギは「人体最大の器官」にあった...糖尿病を予防し、がんと闘う効果にも期待が
  • 3
    【クイズ】世界で最も「レアアースの埋蔵量」が多い国はどこ?
  • 4
    【心が疲れたとき】メンタルが一瞬で “最…
  • 5
    中居正広は何をしたのか? 真相を知るためにできる…
  • 6
    日本旅行が世界を魅了する本当の理由は「円安」では…
  • 7
    間食はなぜ「ナッツ一択」なのか?...がん・心疾患・抜…
  • 8
    自らの醜悪さを晒すだけ...ジブリ風AIイラストに「大…
  • 9
    北朝鮮兵の親たち、息子の「ロシア送り」を阻止する…
  • 10
    【クイズ】世界で最も「半導体の工場」が多い国どこ…
トランプ2.0記事まとめ
日本再発見 シーズン2
CHALLENGING INNOVATOR
Wonderful Story