米朝が繰り返す悲劇の歴史、忘れられた「ベトナム1968」
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ベトナム中部ダックトー郊外を進む米歩兵部隊(67年11月) Courtesy of U.S. Army/REUTERS
<韓国はベトナム人を虐殺し、西側はチェコを見捨てた――50年前の呪縛が今度は北朝鮮国民に向けられるのか>
最近、東南アジアで最も脚光を浴びた国は、6月に米朝首脳会談があったシンガポールだろう。ただ、「2018年のシンガポール」が世界史的事件になるかどうかは未知数だが。
世界史的な観点から思い起こすべきは、むしろ半世紀前の「1968年のベトナム」だ。この頃ピークに達したベトナム戦争は同時代の世界を揺るがし、世界の至る所に爪痕を残した。
そしてこの戦争に直面した各国で「叙事詩」が紡がれた。ベトナムから遠く離れたモンゴルにさえ興味深い話が残っている。
北ベトナムが南ベトナムの首都サイゴン(現ホーチミン)を攻めていたある日のこと。北ベトナムの拠点となった郊外の高級別荘地をモンゴルから来た著名な詩人が訪れた。北の幹部と散歩中、一頭の馬が敷地に入ろうといなないた。詩人はモンゴル高原の馬だと気付いた。馬は詩人の声を聞き、匂いを嗅ぎつけて近づいてきたらしい。涙を流し「再会」を喜び合った。
別の話もある。ベトナムで従軍していたモンゴル馬が役目を終え、北上して故郷を目指した。長江や黄河、無数の山脈と広大な田畑を乗り越えた。中国では危うく住民に食べられそうになったが、無事モンゴルに帰還。臀部には飼い主である遊牧民の焼き印が残っていた。
英雄的なゲリラ闘争の年
ユーラシアの遊牧世界には古くから「旅する馬の物語」が多く伝わる。先の2つの話は、世界史における「68年のベトナム」を目撃したモンゴル版の叙事詩だ。社会主義国だったモンゴルはソ連の指示によりベトナム戦争を支持。遊牧民が供出した馬はインドシナのジャングルで大砲などの物資を運んでいた。
同じく68年1月、太平洋を越えたキューバで、「今年は英雄的なゲリラ闘争の年になる」と宣言したのはカストロ議長だった。同じ月に韓国の首都ソウルでは、韓国軍人を装ったゲリラ31人が朴正煕(パク・チョンヒ)大統領暗殺を図って青瓦台(大統領府)近くに侵入。韓国軍と銃撃戦を繰り広げた。ゲリラは「朝鮮半島革命の民主基地」を自任する北朝鮮が送り込んだものだった。
韓国は当時、ベトナムに大軍を派遣していた。タイ、フィリピンやオーストラリアなどと共に自由世界の一員として、アメリカと南ベトナムを支持。派兵や物資援助を行い、日本の本土と沖縄の米軍基地が出撃拠点となった。
延べ約32万人もの兵士からなる韓国軍はベトナム各地で虐殺を働いた。韓国軍が他国の軍隊よりも「熱心」に民間人を共産ゲリラとみて殺害したのは、北朝鮮からの「共産革命の脅威」を肌で感じていたのも一因とされる。青瓦台襲撃未遂など共産主義化した「同胞」からの敵を異国のベトナムで取る。自由主義陣営を守るための暴力もまた、「68年のベトナム」を目撃した韓国版の叙事詩だった。
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