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ヴィズマーラ恵子|イタリア

いよいよ始まるコンクラーベ、新教皇選出の舞台裏

Alamy StockPhoto- Abacapress

| 故フランシスコ教皇の遺産と133人の枢機卿たちが描く教会の未来

2025年4月28日、バチカン広報局は次期ローマ教皇を選出するためのコンクラーベが5月7日に開始されることを正式に発表した。
この決定は同日に開かれた枢機卿による総会で下されたものである。

コンクラーベの議長は、教皇選挙資格を持つ枢機卿の中で最高齢のピエトロ・パロリン枢機卿が務める。
4月21日に逝去したフランシスコ教皇の「ノヴェンディアーレ(9日間の追悼ミサ)」が5月4日に終了することを受け、その直後の日程設定となった。

使徒憲章『Universi Dominici Gregis』によれば、コンクラーベは教皇死去後15日から20日以内(5月5日〜10日)に開始されるべきものである。全ての選挙権保持枢機卿がローマに到着していることから、やや早めの開催が決定された。

コンクラーベは80歳未満の枢機卿によって構成される選挙会議である。理論上135人の枢機卿が選挙資格を有しているが、健康上の理由により2名が辞退を表明しており、実際には133人が参加する。出身地域は欧州53名、アジア23名、南米21名、アフリカ18名、北米16名、オセアニア4名と、歴代でも最も国際的で多様な構成となる。

参加者は選挙期間中、外部との接触を一切絶たれ、バチカン内のサンタ・マルタ宿舎に隔離される。
初日は午後に1回、以降は午前・午後に2回ずつ投票が行われる。紙の投票用紙による秘密投票で、結果は監査役と記録係が確認する。投票後は、黒い煙(未選出)または白い煙(教皇決定)がシスティーナ礼拝堂の煙突から上がり、サン・ピエトロ広場の信者たちに結果が伝えられる仕組みである。

投票が33回または34回を超えても教皇が選出されない場合、最も多く票を得た上位2名による決選投票に移行するが、いずれの場合も選出には3分の2以上の得票が必要とされる。過去のコンクラーベの平均期間は3日程度であり、最長は1922年の5日間、最短は教皇フランシスコの選出時の約24時間であった。

新教皇選出後は「涙の部屋」と呼ばれる場所で法衣を身につけ、バルコニーに姿を現す。
そして「Habemus Papam(我らに教皇あり)」の宣言がなされる。世界中の信者にとって、この白い煙と宣言は新たな時代の幕開けを告げる神聖な瞬間である。

| 注目される「パパビーレ(Papabile=教皇候補)」

パロリン国務長官(70歳、イタリア)が最有力視されている。
彼はバチカン外交の中枢を担い、フランシスコ教皇の近くで改革を支えてきた実績がある。同じくイタリア人のボローニャ大司教マッテオ・ズッピ枢機卿(69歳)は対話を重視する姿勢で知られ、教会内部の多様な意見を調和させる手腕が評価されている。比較的若いエルサレム総大司教ピエルバッティスタ・ピッツァバッラ枢機卿(60歳、イタリア)も、中東情勢に精通した経験が買われている。

欧州外からは、コンゴのフリドリン・アンボンゴ枢機卿(65歳)がアフリカ大陸の声を代表する存在として、フィリピンのルイス・アントニオ・タグレ枢機卿(67歳)はアジアにおけるカトリック教会の顔として注目を集めている。また、韓国の教理省長官ラザロ・ユ・フンシク枢機卿(73歳)も、教会の教義における専門性から一定の支持を得ている。ブダペスト大司教ペーテル・エルド枢機卿(73歳、ハンガリー)は保守派として知られ、伝統を重んじる枢機卿たちからの信頼が厚い。

これらのパパビーレたちは、単なる行政手腕や神学的立場だけでなく、フランシスコ教皇の「改革路線」をどう継承するかという観点からも評価されている。
教会内には変革を続ける勢力と、より伝統回帰を望む勢力が存在するが、現時点では一致と協調が強く意識されている。

亡きフランシスコ教皇の足跡は、サンタ・マリア・マッジョーレ大聖堂に刻まれている。
教皇の死後、そこには「Franciscus」の一語と小さな十字架が刻まれた白い大理石の簡素な墓碑が置かれた。連日、多くの信者が訪れ、祈りを捧げている。彼の墓は、生涯信頼し155回以上も訪れた「サルス・ポプリ・ロマーニ」の聖母像の近くにある。

「聖人にすべきだ」という声が信者から繰り返されている。
フランシスコ教皇は、貧しい人々の側に立ち、教皇制のスタイル、言葉、テーマを一新した。「力ある者の傲慢」を嫌い、「権力そのものの傲慢さ」と闘った。
その姿勢は信者だけでなく、信仰を持たない人々の心にも響いた。性的少数者の権利、資本主義の残酷さ、戦争への明確な姿勢、病床からでも、電話で現場の神父に寄り添った人間性が人々に愛された。

サンピエトロ広場での荘厳な葬儀と、ローマ市街を通った「民衆の葬列」は、彼の人気と影響力を如実に示していた。
墓前には障がいのある子を連れた母親、トランスジェンダーのカップル、そして老若男女が訪れ、それぞれが彼に何かを託し、ある女性は「お父さん、あるいはおじいちゃんみたいだ」と彼に語りかけている姿がTVで放送された。
修道女のルチアさんは「聖人認定が保守的な聖座によって妨げられるのでは」という懸念を漏らした。それほどまでに、フランシスコ教皇は多くの人々の心に「革命者」として刻まれているのである。

| 今こそ、シノダルな教会

彼が打ち出した「シノダルな教会」の実現こそ、今回のコンクラーベに課せられた最大の使命である。
「シノダルな教会(synodal Church)」とは、カトリック教会において教皇フランシスコが特に強調した概念で、「共に歩む教会」「対話と参加の教会」である。
語源はギリシア語の「σύνοδος(シノドス)」で、「共に道を歩む」という意味だ。
教皇フランシスコは、現代のカトリック教会が権威主義や形式主義に偏ってきたことに危機感を抱いていた。その中で「シノダルな教会」は、信者全体が関与し、共に歩む教会を再構築するためのキーワードとなっている。

初のイエズス会出身教皇として、フランシスコは「教会における識別」という霊的実践を強調し、シノドス(世界代表司教会議)を通じて教会全体が神の声を聞く場を作り上げようと尽力した。
「議会」でも「テレビ討論」でもなく、祈りと聖霊の導きを求める霊的な体験であると説いたのである。

しかし現実には、5度にわたるシノドスの中で意見の対立や感情のぶつかり合いも少なくなかった。

聖書学者で枢機卿のラヴァージが「教会がほころび始めていることをフランシスコは深く憂慮していた」と語ったように、教会内の分断は解消したわけではない。その中で「シノダルな教会」がコンクラーベで完成に近づくことへの期待は大きい。

4月28日から再開された一般会議(congregazioni generali)では、133人の枢機卿が顔を合わせている。選挙権を持たない80歳超の枢機卿も含め、全員が集う場である。多くの枢機卿はこれまで互いに面識がなかった者たちである。彼らは単なる政治的立場や派閥ではなく、「人」として誰を選ぶかを見極める時を迎えた。「教皇は大統領でも政治的リーダーでもない」という声は、この選出の本質を突いている。

コンクラーベ直前の一般会議は、正式な「プレ・コンクラーベ」の場としても機能している。
ここでの対話を通じて、枢機卿たちは互いの人柄や考え方、そして教会が直面する課題への対応を見極めようとしている。マリのジャン・ゼルボ枢機卿は「教会に色分けはない」と語り、アイルランドのショーン・ブレイディ枢機卿は「今、我々は素晴らしい雰囲気の中にいる」と述べた。これらの言葉からは一致への希求が読み取れる。

2013年、教皇ベネディクト16世が退位直前に枢機卿たちへ向けて語った言葉が思い出される。「この中に次の教皇がいる。その方に私はすでに無条件の敬意と従順を誓う」と。今回も同様に、133人の中から選ばれる次期教皇は、単に多数決で決まるわけではない。
霊的な識別と一致の中で、教会を導く者が選ばれるのである。

パロリン国務長官は追悼ミサで「次の教皇には継続性が求められる」と説いた。

その言葉は、明らかにフランシスコの遺志を継ぐことの必要性を示している。分裂でなく一致の時であるという認識が枢機卿たちの間に広がりつつある。教会は迅速なコンクラーベを必要としており、新教皇には違いを包み込み、人々を安心させる力が求められている。

このコンクラーベは教会がどの方向に進むのか、その転換点となる。「一致の霊」と「識別の心」が試される、聖なる選択の時が迫っている。

コンクラーベの煙突から白い煙が上がる瞬間、カトリック教会の新たな一歩が始まるのである。

 

Profile

著者プロフィール
ヴィズマーラ恵子

イタリア・ミラノ郊外在住。イタリア抹茶ストアと日本茶舗を経営・代表取締役社長。和⇄伊語逐次通訳・翻訳・コーディネータガイド。福岡県出身。中学校美術科教師を経て2000年に渡伊。フィレンツェ留学後ミラノに移住。イタリアの最新ニュースを斜め読みし、在住邦人の目線で現地から生の声を綴る。
Twitter:@vismoglie

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