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その日、或る移民が思うアメリカ

中島恒久|アメリカ

移民の国から日本のデジタル化と「使いやすさ」について考える

Multi age and ethnicities portraits-iStock.

システム開発の仕事をしているせいか常日頃からどんなアプリでも道具に対してでも「使いやすさ」という事を考える事が多いです。

先日、日本の実家の父とLINEで話していると「日本もデジタル化が進むみたいだぞ。デジタル庁も出来るって言うし、今度のデジタル改革大臣も凄くデジタルに詳しいっていうから期待してるんだ」と言っていました。70代半ばの父がデジタル化に関心がある事が結構意外でした。確かに父はスマホでLINEを使って孫たちとも良く話しているし、ラップトップPCで書類を作るし、インターネットも楽しく使っている様子で、年齢にしてはデジタルに馴染みもあるしデジタル庁への期待値も高いのかな?と思ったり。会話の中で父が続けて「日本は世界に比べてデジタル化が遅れていると思うけど、これから追いついていけるのかな?」と聞いてきました。とっさに私は「何かしらの変化は起こるのだろうけど、それが日本に住んでいる多くの人の利便性を向上するものになる様な気はしないなぁ」と思ったんですね。その感覚を上手く説明できず、結局何も返答できなかったので今日はその感覚を文章でまとめてみたいと思います。

まずは話題のデジタル庁とは何なのでしょう?超ざっくりした説明を見つけたので下記に貼っておきます。

「政府は2021年秋までに「デジタル庁」を新設する方針」

デジタル庁は各省庁のデジタル化を推進する司令塔となります。各省庁や地方自治体、行政機関の間でスムーズにデータをやりとりできるようにし、行政手続き全般の迅速化を目指します。マイナンバーカードの普及も推進し、健康保険証や免許証など様々な規格を統合する方針です。最新のデジタル化の動向に対応するため、トップには民間人を据える案を検討します。

省庁のデジタル化は私たちの生活にも直結する改革です。仕事の合間を縫って区役所に行く手間を考えると、カード1枚で行政手続きが済む社会はとても便利なものに思えます。セキュリティー面など越えなければならない課題も少なくはないでしょうが、このスピード感を忘れずに実現に向けて走り続けてほしいものです。

https://www.nikkei.com/article/DGXMZO63995200X10C20A9I10000/

平たく言ってしまえば「行政機関のデータの連携が進み手続きがスピードアップ!複数のIDカードはマイナンバーカードに統合され、マイナンバーカード一枚持っていればOK!最新の動向を把握していて、政治家でも官僚でも無い国民と近い感覚を持つ民間人がトップになるから安心!」と言ったところでしょうか。父が期待するのも納得できる気がします。でも、ちょっと作り手側の視点に寄り過ぎている気がして、父を始めとして多くの日本の人達に「便利で使いやすいデジタルの未来」が訪れる気がしないのです。まず、私なりに日本がデジタル化を進める目的を抽象的に考えてみたいと思います。

・業務効率化(時間的・費用的なコストを下げ、リソース投入量を下げる)

・生産性向上(投入資源を有効活用して、最大限の成果を生み出す)

・機会の平等の推進(人為的な障壁を「明らかに合理的と見なされているもの」以外全て取り除く)

この3点になると思うのですが、最初の2つは民間でのシステム導入の際でも必ず目的になりますね。そして、国が推し進めるならば3つ目の機会の平等の推進は外せないでしょう。これらの3つの目的を達成するには「使いやすさ」がカギになるなぁ、と改めて思います。結局使うのは人間だからです。

使いやすさって結局作り手に依存しちゃうんですよね。通常、システムを作る際には実際に使用するユーザーを想定しながら、操作、使い勝手を考えるというプロセスがあります。ここでの想定が甘いと当然作り手の独善的なシステムになってしまい、ユーザーからするととんでもなく使いにくい代物になってしまうのです。

日本のデジタル化の場合、ユーザーは大きく分けて行政側の人達と国民の2つに分けられます。作り手である国は行政側のユーザーの品質は想定出来るでしょうし、最悪「とにかく使え」と言えば良い話です。問題は国民側、です。様々な環境で、様々な状況を生きる市井の人々にどこまで共感をもって寄り添えるのだろうか?と思います。それをせずに行政側の業務効率化だけに注目してシステムを作り、機会の平等は無く、生産性が落ちると言う事は避けて欲しいなぁ、と思うのです。

理想的にはデザイン思考で言うところの共感 (Empathise)と定義 (Define)のステップを踏めればな、と思います。ユーザーに寄り添って、何が問題なのかを一緒に見つけて定義し、その上でシステムでどう解決するかを考えていくという、一見非効率に見える手法です。しかし、生産性向上という視点から見ると、このプロセスに時間は掛かるものの本質的な問題を見つけられていれば、非常に生産性の高いシステムを作る事が可能になります。副次的に寄り添いから始まるプロセスの中で、自然とユーザーの「使いやすさ」を重要視していく事になるので、使いやすい平等性の高いシステムに仕上げる事が出来ます。

だから、結局使いやすいシステムを作れるかどうか?は技術力ではなく想像力に依存すると言ってしまって良いでしょう。日本の行政が主導する作り手に、仮に民間人がトップになったとしてもその想像力がどのくらいあるのか?また、そもそもその様な進め方を日本という国が選択するのか?というところが気になりますし、未知数なんですね。

私はアメリカでアメリカのアプリやサービスを毎日使い、同時に日本発のアプリやサービスも使っています。それらを仕事で導入したり、カスタマイズする事もあるんですが、総じてアメリカ発のアプリやサービスの方が直感的な使いやすさという点では上だと感じます。実際、アメリカ発のアプリ、サービスが世界中を席巻している訳ですが、それには使いやすさが大きく寄与していると思うんですね。「アメリカ製アプリが徹底的に使いやすさを追求する背景」には前回書いた「移民の国=多様性」という要素と「階層間の差が大きいアメリカ社会」という要素が大きく影響していると考えています。

ビジネスの場合、特に消費者向け(C向け)サービスであればシェアを取らなくてはいけません。そのためには多様性があって階層間の差の大きい社会を生きる人たちのアプリやシステムを使いこなす能力の最大公約数を考える必要があり、結果的に「とにかく物凄くシンプルで使いやすいもの」になっていきます。そのために多くの会社が世界中から優秀な人材をかき集め、最新の技術を使って直感的にシンプルに操作できるアプリを作る事に尽力している訳です。

「日米の社会の差」は「想定されるユーザーの差」にもつながっています。言葉で「誰でも使える使い易いシステム」というのは簡単です。重要なのは、その言葉を発した時に頭にイメージしているユーザーの姿です。日本人の多くは教育水準も近いですし、難しいものを使いこなすのに喜びを覚える人も多い印象です。しかし、その前提に捉われるあまり、日本の内側にある多様性と階層間の差に目を向けようとしなかったのではないか?と思います。しかし、国を挙げて本格的にデジタル化を進めるという事であれば、是非もっともっと掘り下げて、想像力を駆使してスマホのロックが解除できない人達の事まで想定したシステム設計していって欲しいなぁ、と強く思います。

想像力を最大限に発揮して「使いやすさ」を追求したシステムの設計、デザインをするにあたって、確実にアメリカが参考になると思うのですが皆さんはどう思われますか?

 

Profile

著者プロフィール
中島恒久

海外経験ゼロからアメリカ永住権の抽選に応募して一発当選。2004年、25歳の時にアメリカ移住。ジャズベーシストとしての活動の傍ら、寿司屋の下働き、起業、スタートアップ企業、刃物研ぎなどの仕事を転々とした結果ホームレスになりかける。現在は日系IT企業の米国法人にてCOO。サンフランシスコ在住の日系アメリカ人の一世。

Twitter: @carlostsune

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