コペンハーゲンで考える、生き物の話
物理学のような、生物学のような
僕は自己紹介をする時「物理学者です」と答えるようにしている。けれども実際に研究しているのは大腸菌という微生物。それに加えて、コペンハーゲン大学に来てからは少しだけ実験も始めた。これはもう生物学者と名乗った方が分かりやすいのでは、という気もするけれどこちらの方が正確なのだ。
自然科学の分野として、ぱっと思いつくのは物理学、化学、生物学、地学あたりだろうか。物理はボールを投げるとどこまで飛ぶかを教えてくれて、化学は水素と酸素を反応させるとどうして水になるのかを答えてくれる...そんな感じの印象が多いと思う。
ただ実際のところ、各分野間の線引きはそれほど明確でもない。例えば「量子力学」は物理の一部だが扱う対象は原子分子だし、「生化学」は細胞のなかでの化学反応を調べる分野で、化学と生物学のどっちだと聞かれるとちょっと難しい。こういった分野の違いは研究対象に基づくというよりはむしろ、世界をどのように理解したいかという「ノリ」の部分で決まっているのではないかなと思っている。
物理学のノリは徹底したシンプル至上主義だ。計算を簡単にしたり、その答えを理解しやすくするため、現象はこれでもかというほど単純化される。
このシンプル至上主義を皮肉った『球形の牛 (Spherical Cow)』というジョークがある:牛乳の生産量を上げるため、酪農家のもとにひとりの理論物理学者が大学から派遣された。その明晰な頭脳からはじき出された解決策は次のように始まる。「まず話を簡単にするため、ひとまず牛を球形と仮定します。また、その球形の牛は真空状態にいるとします。すると...」(搾乳はどこからやるんだろう)
これは尾ひれがついた話かも知れないが、生物学の先生に「先生はどうして細胞を室温で観察するんですか?液体窒素を使って-196℃にすればノイズも減って実験が楽ですよ」とアドバイスした物理学の先生もいたらしい。細胞が死んでしまうよ。
対して生物学はそれぞれの生物種や遺伝子における「違い」への途轍もない敬意(だと思う)。僕自身は生物学者ではないけれど、少なくともこれまでに接してきた多くの生物学者はそういう人たちだった。近縁の生物種はかなり似た遺伝子を持っているので僕は「じゃあその二つは同じ遺伝子ってことでいいよね!!」と言うのだが、そんなザルのような解像度ではダメらしい。
学部時代、植物の多種多様な形に興味を持っていた。実は植物の葉っぱのつき方には数学的な説明がある。この理論をどうしても理解したいと思い、大学にひとりだけ在籍していた植物形態学の教授のもとを訪ねたのだが、僕が手にしていた専門書を一瞥した教授はひとこと「僕はそういう風に生物を理解したくないんだよね」とだけ発して、会話は終わった。
その当時は「なんてひどい教員だ!!」と憤ったものだけれど、きっと教授にとって大切なことは多種多様な植物の形態を十把一絡げにしてしまう理屈ではなく、ひとつひとつの違いを可能な限りつぶさに観察し、記録し、愛でることだったのだろうな、といまなら思う。
物理学と生物学、どちらの"ノリ"も科学の前進には必要不可欠だ。薬の開発は「この遺伝子とこの遺伝子は共通する部分も多いので全く同じものとして扱おう。そうしたら話がシンプルになる」というタイプにはちょっと任せたくない。一方で「地上で成り立っているこの理論、多分宇宙でも大筋では同じでしょ」という、ある種の"軽さ"によって理論は拡張、一般化されて、人類が前人未到の地へと臨む足がかりとなった。
大事なことだと思っているのでながながと書いてきたが要するに、「細かい部分にはひとまず目をつぶって、多くの生き物に共通している何かを理解したいなぁ」という、どちらかと言えば物理のノリで僕は研究をしているので「物理学者です」という自己紹介にちょっとこだわりがある。
すこし専門的すぎるかも知れないけれど、これは「物理学者のノリ」だなぁ、と思う生物の研究を3つほど。
1. 体の大きさと代謝量の関係
これは割と有名で『生物は3/4が好き』という本も出ているので知っている人もいるかも知れない。これは生物の体の大きさと、その生物が一定時間に行う代謝の量(例えば酸素の消費量)の間には特別な法則がある、という話。
直感的に言って、体が大きい動物、例えばゾウが必要とする酸素の量はネズミよりは多そうだ。そのレベルの説明ならあまり驚く要素はないのだけども、実は体のサイズと代謝量の関係はゾウやクジラという超大型の恒温動物から、目では見えない単細胞生物、バクテリアまでほぼ共通しているらしい。
この図は横軸に生物の体重を、縦軸に代謝量をとってそれぞれ対数スケールでプロットしている。このデータには3本線が引かれていて、われわれのような恒温動物、恒温でない多細胞生物、そして単細胞の生物だ。傾きがどれも一緒なので体が大きくなるにつれて必要になるエネルギー量の増え方が同じだということを示している。
(ここからちょっと専門的)
ポイントなのは直線の傾きがすべて3/4だということだ。もし代謝量が体重に比例して増えていく場合この傾きは1になる。それよりも傾きが小さいので、体重1kgあたりの代謝量は大きい生物ほど少なく、要は燃費が良い。
これが傾き1(体重と代謝量が比例)ならば「まぁ、そういうこともあるかもね」といった感じもするが、これが3/4と中途半端で、またとんでもなく多くの生物の間で見られてるため、何かここに深淵な法則があるんじゃないか、という気分になってしまう。
この3/4という数字はどこから来るのかを理解するために多くの数学的モデルが提案された。有力なモデルはいくつかあるが、まだ議論が続いている(そもそも3/4ではないという説もある)
2. 大腸菌の成長速度とリボソーム量の関係
リボソームという分子がある。細胞のなかのおよそ全ての化学反応はタンパク質が行なっているのだが、そのタンパク質の設計図である遺伝子から情報を読み出し、タンパク質を組み立てているのがこのリボソーム。細胞が生きていくために必須の分子なのだ。
これほど重要な分子について、何か簡単な法則はないだとうか?そこでデンマーク・コペンハーゲン大学のOle Mølleのグループ(彼らはバリバリの生物学者なのだけど)は大腸菌を様々な栄養環境で育て、その時の成長速度とリボソームの量を測った。
すると驚くことに成長速度に比例してリボソームの量が増えていくことが分かったのだ(厳密には比例ではなく線形増加)。これはどちらかというと「成長速度が増えるとリボソームが増える」というより、「成長速度を増やすためにはリボソームを増やさなければいけない」と解釈する方がしっくりくるかも知れない。
「早く成長するにはある分子をいっぱいつくらないといけないなんて、それはそうじゃない?」という印象を抱くかも知れない。ただ大腸菌はおよそ4,300種類のタンパク質を持っていて、それらの共同プレーでエサを食べ、分解し、自身の身体を作ったりエネルギーを生み出したりしている。そうとなれば成長速度と各分子の濃度はなかなか複雑でも良いはずなのだが、すごく簡単な関係でリボソーム量と結びついている。
生物はもちろんとんでもなく複雑だ。それでもこれほどまでに単純な法則があるのならば「生命現象を人間が理解するなんて到底不可能」というわけでもないかも知れない。
Ole Mølleらの研究結果は時が流れて2010年、アメリカはカリフォルニア大学サンディエゴ校のTerence Hwaらによって数学的な説明がなされ、一部の学会でものすごく流行った。ブームは最近落ち着いてきた気がするが、これ以降多くの研究者が「シンプルな方程式で表せる現象」を血眼で探して多くの論文が生み出された。これによってかなり知見が集まったような気がするが、どうも「シンプルな方程式でかけるものしか見ない」みたいな雰囲気が醸成された気がしないでもない。(いうて僕もそれっぽい論文書いたんですけども)
3.成長速度と遺伝子発現量変化の関係
これは僕が博士課程のころ指導教員だった教授の研究なので、どうも身内の宣伝感が抜けないけれど個人的に好きなので紹介させてください。
生物は遺伝子の発現量を調節することで環境変動に対応する(ざっくり言えばどれくらい各タンパク質を作っているかを変える)。例えばエサが少なくなったことに気づくと細胞のなかを「省エネモード」に変えたり、温度が高くなるとタンパク質が熱によって変形して機能しなくなることを防ぐために「シャペロンタンパク」という特別なタンパク質を作って守ったり。
そういう訳で、環境変動に対して遺伝子の発現量がどのように応答するかを理解することが出来れば、生命現象は(それでも一部ではあるが)かなり理解できたなという気分になれる。
もちろん遺伝子ひとつひとつには特別な役割があり、どの遺伝子が機能するかなんて環境変動のタイプによってケースバイケースだろうからそこに「法則」のようなものはない、と思うのはもっともだ。ただ実は方程式をいろいろいじくり回していると「もしかしたら法則があっても良いな....」という結果が出てくる。なので調べてみた、というのがこの研究だ。
図にはたくさんの点が打ってあるが点一つがひとつの遺伝子を表していて、横軸の値が環境Aに大腸菌を移した時の発現量変化、縦軸の値が環境Bに移した時の発現量変化だ。具体的には例えば、真ん中の図は温度をちょっと上げた時とそれなりに上げた時それぞれの場合で、遺伝子発現量が温度変化前から何倍になったかを測りそれらの値を縦軸、横軸に配置している。右あるいは上にいくほど発現が増えており、逆は減っている。
これを見るとなんとなくパターンがある気がする。環境Aで発現量が増えたものは環境Bでも増えているし、その逆も然りだ。そしてこのデータ全体の傾きは理論的に予測できる。
とはいえ、同一種類の環境変化(温度のちょっとした上昇と大きな上昇など)ならば、環境ごとの発現変化量に綺麗な関係があってもそこまで不思議ではないかも知れない。ストレスの程度が違っても必要な防御機構はおそらく似通っているだろう。
この研究の売りは、もしかするとストレスの種類が違ってもこの関係は成り立っているのかも知れないという主張だ。これは例えば一番右が温度(横軸)と飢餓(縦軸)という具合に別々のストレスを与えた時の遺伝子変化量だが、データ点がある直線の上に乗っていると思えないこともない。
ただやはりこれはデータ点のばらつきが大きすぎ、このデータだけでどこまでの人が納得してくれるかというと微妙ではある。個人的に好きな研究なのだが(指導教官だし)、もう少し知見が貯まらないことにはこの主張が本当に正しいのか判断することは難しいと思う。
(ここらへんの話に興味があれば『生命とはなにか』あるいは『普遍性生物学』をどうぞ。この研究は『普遍性生物学』の方に入っていて僕の学生時代の研究も収録されているので是非)
どうでしょう。物理学者にとっての「生物」の見方、なんとなーーく伝わりましたでしょうか。
もちろん全ての物理学者がこのような見方をしているわけでは決してなく、例えば分子モーターなどを研究している方々のノリはまたちょっと違ったりするのですが、こういうノリもあるんだよ、ということで。
著者プロフィール
- 姫岡優介
90年生まれ、東北大→東大院。現在、デンマークはコペンハーゲンでシステム生物学の研究をしています。「生きている状態」というのはどういった意味で特別な状態なのかということを数学的に理解することが目標です。もうすこしサイエンスが多くの方にとって身近になればいいなと思っています。twitter: https://twitter.com/yhimeoka