コラム

名峰に囲まれた地「冬の桃の花」と国蝶・オオムラサキの追憶

2019年12月24日(火)16時15分

◆「徒歩の旅」で増幅される歴史ロマン

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県道17号「七里岩ライン」を進む。正面に八ヶ岳

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名峰に囲まれた今回のルート。東に目を転じると奥秩父山地の茅ヶ岳が見えた

四方を山に囲まれた甲府盆地を北西へ抜ける今回のルートでは、背後に富士山、左に南アルプス、右に奥秩父の山並み、そして、進行方向にこれから山麓地域に入っていく八ヶ岳が見える。東京湾から新潟県の日本海を目指すこの「日本横断徒歩の旅」全行程の中でも、指折りの好ロケーションだ。平和観音が立つ七里岩を下り、平行して東側を通る県道17号「七里岩ライン」に出て、武田氏ゆかりの新府城跡を目指した。

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新府城跡に至る神社の石段

新府城は、武田勝頼が部下の真田昌幸に命じて築かせた城である。平和観音と同じ七里岩の丘の上にあり、険しい山に建つ「山城」と平地の「平城」の中間的な存在である「平山城」に分類される。現在は神社の参道になっている石段を上って本丸跡に至るのだが、平山城だと言っても、これがかなりの勾配と高さである。優に200段以上はあろうかという石段の半分を過ぎたあたりで息が上がり、足の筋肉も悲鳴を上げた。休み休みほうほうの体で登り終えると、赤い鳥居と狛犬に迎えられた。それを眺めながら石段の上で休憩していると、先に登頂していた地元の老人が現れ、「まあ、ゆっくり見てってください」と、誇らしげに声をかけてきた。武田氏の本拠があったこの国中(くになか)地方を歩いていると、事あるごとに武田が人々の誇りであることを実感する。

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石段を登りきると平坦な山頂に到着。城跡の一角は神社になっている

各地にある日本の城跡は規模の大小こそあれ、たいていは本丸跡が平らな何もない空間になっていて、わずかに残された掘割や石垣の痕跡が独特の雰囲気で往時を偲ばせる。この新府城は、第12回で訪れた甲府の躑躅ヶ崎館(つつじがさきやかた、現武田神社)に代わって一時期は武田氏の本拠となっていた城だ。さすがに城跡の規模は大きく、山頂の本丸跡と二の丸跡は荒涼とした広い草地になっていた。

個人的には、石造りの西洋の城跡のように、もっとはっきりとした遺構が残っていた方がいいのになあ、と思わなくもないが、こういう何もない所から感じる歴史ロマンも悪くないものだ。新府城は、甲斐国への圧力を強める織田軍の進軍を待たずして、城主の勝頼自らが火をかけた末に放棄された。その後、勝頼一行は僕がこの旅で歩いてきたルートを逆に辿って退却し、僕たちも第9回で越えた笹子峠の向こうの郡内地方にある岩殿城(現・大月市)を目指した。しかし、笹子峠に至った所で味方の謀反に遭い、勝頼は国中に戻ってきた所で自害。これにより武田氏は滅亡した。

この「武田氏滅亡の道」は、自分の足で実際に時間をかけて歩いてきた道なだけに、その距離感や勾配が具体的に想像できる。新府城跡の草原の真ん中に立ち、自分が歩いてきた道を振り返ると、戦国時代の出来事が余計にリアリティを持って蘇ってきた。「徒歩の旅」は、歴史ロマンをリアルに感じられる旅でもある。

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武田氏最後の本拠となった新府城跡。今は静かに草が生えているだけだ

◆冬の桃の花

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雪をかぶった南アルプスの山並みと枯れたススキの間に"桃の花"が咲いていた

新府城跡から下界に降りると、牧歌的な光景が開けた。南アルプスを背景に、丘一面に果樹園が広がる。連なる桃の木が、白い花をつけているように見えた。今日は12月15日。例年よりも季節の進みが遅く感じられるものの、寒風が吹く真冬である。

少し近づくと、正体が分かった。夏から秋にかけて甲府盆地を歩いてきて何度も見てきた「袋がけ」の名残りである。日本の桃栽培では、害虫を防いだり色づきをよくするために実に袋をかけるが、「新府桃源郷」と呼ばれ、ブランド桃の一大産地となっているこの新府地域では、より効果を高めるために2重にかけるのが普通だそうだ。枝の剪定作業をしていた農家の人に聞くと、外側の袋は収穫時に回収するが、内側の白い袋は枝に引っかかるような形で残しておくとのこと。これが遠目に花のように見えると喜ぶのは僕だけではないらしく、「冬の桃の花なんて言う人もいるんですよ」と、その女性は笑った。

まあ、接近して見方を変えれば、枝に引っかかった汚ならしいゴミだとも言える。枝の剪定が終わる2月までには、全ての木から袋を外して廃棄するという。花に見えたりゴミに見えたりと、情緒に支えられた人間の視点など不正確で勝手なものだとつくづく思うけれど、この「冬の桃源郷」との出会いは、僕の中で今回の旅のハイライトとなった。

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少し近づけば白い点々は花ではないと分かる

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白い袋は、枝の剪定が終わる2月までにはすべて片付けられるという

プロフィール

内村コースケ

1970年ビルマ(現ミャンマー)生まれ。外交官だった父の転勤で少年時代をカナダとイギリスで過ごした。早稲田大学第一文学部卒業後、中日新聞の地方支局と社会部で記者を経験。かねてから希望していたカメラマン職に転じ、同東京本社(東京新聞)写真部でアフガン紛争などの撮影に従事した。2005年よりフリーとなり、「書けて撮れる」フォトジャーナリストとして、海外ニュース、帰国子女教育、地方移住、ペット・動物愛護問題などをテーマに執筆・撮影活動をしている。日本写真家協会(JPS)会員

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