地方病を撲滅し医学が勝利した栄光の地、甲府盆地西部を歩く
◆批判のあった「コンクリート」が人命を救う皮肉
釜無川にかかる開国橋につくと、北から南へ流れる釜無川の上流方向に、八ヶ岳が姿を現した。東京の晴海埠頭からスタートして、高尾までの4回を第1ステージ、山梨県東部の郡内地方を歩いた4回を第2ステージ、甲府盆地を歩いている今が第3ステージと、自分の中で整理している。次の第4ステージは、八ヶ岳山麓の大自然を歩こうと思っている。橋の真ん中から次の舞台を目にしながら、僕はしばしここまでの道のりを振り返った。
地方病の話に戻すと、中間宿主のミヤイリガイが生息していたのはこの釜無川を中心とした水系ということになる。ここで漁や洗濯をしたり、水を引いた水田で農作業をした人たちが罹患したのが、地方病の正体である日本住血吸虫症であった。そして、ミヤイリガイを排除すれば病気を撲滅できることが分かると、地域住民一丸となった戦いが始まった。1925(大正14)年に、水に溶かすとミヤイリガイを殺すことができる生石灰の散布を開始。その後、より効果の高い石灰窒素とPCPの散布、火炎放射、ミヤイリガイを捕食する水鳥の放鳥など、あらゆる手段で駆除が試みられた。
ところで、この旅の少し前には台風19号が関東地方などで猛威を奮い、この日の釜無川はまだ濁流となっていた。この甲府盆地を含め、河川の大規模な氾濫を免れた地域では護岸工事やダム建設が進んでいたことから、この観測史上最大級の台風は、環境保護や景観上の観点から批判も多かった「コンクリート」による治水対策を再評価する世論を形成する契機ともなった。実は、ミヤイリガイの撲滅においても、用水路のコンクリート化が一役買っている。ミヤイリガイは、緩やかな流れに生息するため、それを逆手に取って用水路をコンクリートで固めて直線化し、流れを早くすることで生息場所をなくす方法が取られたのである。
日本住血吸虫の保卵者は調査開始以来、1944(昭和19)年の6,590人をピークに減少に転じ、1960-70年代初頭の高度経済成長期には激減した。用水路のコンクリート化だけでなく、水質汚染を含むミヤイリガイにとっての環境の悪化が、感染症の撲滅に大きく貢献したと言えよう。自然環境保護の視点では「破壊行為」に映る「コンクリート化」が人命を救うという皮肉めいた歴史。今回の台風被害で浮き彫りになった「コンクリート」による治水対策への賛否を考える際にも、重なる部分は多いのではないだろうか。
◆「南アルプス」の郷愁
釜無川を渡り、対岸の南アルプス市に入った。平成の大合併で、ひらがなの市名は数多く誕生したが、カタカナ市は沖縄県のコザ市とこの南アルプス市だけである。しかも、「アルプス」という元は外国の地名が入っているのは、率直に言って奇妙な印象を受ける。公募によって決まった名称だそうだが、必ずしも地元の人たちの意向が反映されたわけではなく、当初は物議をかもしたそうだ。ともあれ、こうした違和感は時間と共に薄れていくものだ。僕自身も以前は「南アルプス市」と照れながら言っていたものだが、最近はそうでもなくなっている。
市域には、文字通り南アルプスの山々を望む爽やかな風景が広がる。その一方で、僕が魅力的に感じたのは、幹線道路から外れた旧街道筋や農村の純和風な佇まいである。フルーツ王国・山梨の秋は柿が主役。あちこちに柿の実がなり、屋上の専用の干場で大量の干し柿をつくる家も多く見られた。落ち葉を焼く野焼きの臭いに郷愁を感じながら南東の空に目を転じると、壮麗な富士山が私たちを見下ろしている。「南アルプス」には、日本人の心の琴線に触れる「ふるさと」を感じさせる光景があった。
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