「マスク着用社会」は非常にマズい...今すぐ外すべき、これだけの理由
AFLO
<マスク着用がこのまま定着してしまったら、若者たちが担う未来の日本社会は一体どうなってしまうのか>
日本政府の新たな方針発表により、3月13日からついに正々堂々とマスクを着用せずに生活できる日々が戻ってきた。私は混み合った電車や病院など感染リスクの高い場所以外では、マスクをしないで過ごしている。
ところが、予想を上回る数の人々がマスク生活を続けている(13日の品川駅では約9割の人がマスクを着けていたという)。感染リスクのある場所だけでなく、周りに誰もいない道路を一人で歩いている人までマスクをしている。花粉症のせいかとも思ったが、どうやらそれだけが理由ではない。日本で花粉症を持つ人は人口の約半分だし、花粉の飛ばない雨の日まで皆マスクをしているのだから。外国人の目には、日本だけがコロナ感染の真っ最中のように見えるだろう。非常に奇異だ。一体どうしてまだマスクを着けているのか?
私は周囲の人々に、なぜまだマスクをしているのか聞いてみた。花粉症の人を除くと、「周囲の目が気になる」という人が大半だった。これは昨年12月の本コラムで周来友さんが書いていた、社会の同調圧力だろうか。確かにマスクをせずにいると、混んでいない店内や電車の中だけでなく、道を歩いていてもマスクを着けた人にすれ違いざまにチラッと見られることが度々ある。
だが多くの場合、それは私の気にしすぎなのだろう。大げさに避けられることもあるが、大抵はにらまれるわけでもなく、ほんのちょっとチラッと見られるだけなのだから。大体、あんな息苦しいものを周囲の目が気になるという理由だけで、真夏も着用して過ごせるとは到底思えない。春の花粉の時期が終わり、蒸し暑くなるにつれてマスクを外す人が増えていくのだろうと思う。
「周囲の目が気になる」という理由よりも私が怖いと思うのは、マスクを着用して生活するのに慣れてそれが普通だという人が世論調査でかなりいることだ。それを象徴するのが「マスクは顔のパンツ」──つまり外すことに強い抵抗があるという意味の言葉だ。
私が知る限り、マスクが顔のパンツだと言っているのは、世界でも日本だけである。主に女性の場合はマスクをすることでメークをしなくて済む、というところまでは私も理解できる。だが、顔を隠せると安心できる、だからこのままマスク生活を続けたい、という人が多くいるのなら、それはちょっとゾッとする。